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30.
「そういやさぁ。この前の賭けの結果って、結局のところどうなったのぉ?」
ミュレイは総帥の執務室にあるソファに横一文字に寝そべったまま、背凭れの奥にいる人物に顔だけを向けて問い掛けた。
「…ん~~? 賭けって、モリヤ君の恋が成就するか、否かって言ってたやつ?」
一拍置いて窓辺の方角から、ミュレイの問い掛けに補足した質問が返って来る。
ガバッとソファから起き上がり、浅めの背凭れの上で頬杖を付いた。
「そうよぉ、それそれ。モリヤ君のカッコ良さに気を取られて、有耶無耶のままだったのを思い出したのよ。あの二人イイ雰囲気だったけど、ユリウスはモリヤ君の愛を拒んじゃった訳だし…。私の一人勝ちって事で、いいのよね?」
頬杖をついた顔は満面に喜色を湛えさせ、勝ち誇っている。
一人の女性を巡って勃発した、二人の男の血湧き肉躍る決闘の、その後。
勝者となった俊輔とユリウスの二人をテラスに残し、ダンスホールに戻った五将らと友人達は、すぐさま全員が窓やテラスの出入り口にへばり付き、彼らのやり取りを一字一句逃さずに盗聴していた。
「うぅ~ん、そうだねぇ…」
昼下がりの穏やかな光が差す窓辺には、何年も使い込まれて、艶やかな飴色に色合いを変えたデスクが鎮座している。
天板が革張りになった、無骨だが使い易く重厚感あるデスクは、所有者であるレメディの大雑把な性格を如実に表している。
天板の上は、書類や物が彼女なりの分類の仕方で所狭しと積まれ、両サイドにある書類入れは、配下のメルローズが何度整理しても、常に棚の隙間から書類の端が豪快にはみ出していた。
そのデスクの前にどっしりと腰を下ろし、俊輔の署名と血判が捺された二枚の羊皮紙を矯めつ眇めつ眺めていたレメディは、それを大事そうに巻き取ると、天板の隅に並べた。
「…勝ち負けと言うのは最後まで、どうなるかは誰にも分からないからね」
二枚の羊皮紙の内の一枚は、俊輔が正式にフラウディルの国民となった事を証明する為のもの。
五将達の名前が証人として連ねられたそれは王宮へ送られ、フラウディル王セレニアのサインと国璽で封蝋がされた後、書庫にて永久に保管される。
「あら。その言い方だと、最後の最後で結果がひっくり返るかもって、レメディは言いたいのかしら? 」
ぶすっと口唇を尖らせてはいるが、ミュレイの瞳は悪戯っぽく爛爛と輝いている。それからちょっと小首を傾げてみせ、微笑んだ。
「…そうね。ユリウスったら、モリヤ君の突然の配属先変更願に、鳩が豆石弓を喰らったみたいな顔してたわねぇ」
もう一枚の羊皮紙には、俊輔が暫定的に就いていた予備役から常備に戻る事と、『中央以外』に配属を希望する旨が、彼らしい大らかな字で書かれてある。
年が明ける頃には、中央とキルシュタインの屋敷を出て、今とは別の部隊員達と宿舎で生活しながら、厳しい任務に就く事になるだろう。
俊輔の突然の申し出にユリウスは動揺を見せたが、彼が正式にフラウディル人として迎え入れられた時点で、彼女の保護者兼、監視役の任は解かれている。
とうに成人し、独り立ちしようとする俊輔を引き留める術も、理由も無いのだ。
「思いの丈を全力でぶつけたモリヤ君の方は、完全に吹っ切れたのかしらね。さっきだって、『 俺はどこに居ても、ユリウスさんが困った時は一瞬であなたの元に駆け付けますから。今よりもっと経験を積んで、自分の力だけで、必ず中央に戻ってきます 』なーんて、堂々と胸キュン発言してユリウスを赤面させちゃうしさぁ」
可笑しくて仕方がない。といった様子で思い出し笑いをするミュレイに、レメディもまた、満面の笑みを咲かせた。
「ね? 勝負と言うのは最後まで、どうなるかは誰にも分からないんだよ」
「……ねえ、シュンスケさん」
フラウディル国が新たな年を迎えるまであと僅かといった、麋角解 頃。
端っこの柔らかな地面に霜柱が出来た早暁の鍛錬場で、アルマが隣に並んだ俊輔に遠慮がちに声を掛けた。
「ユリウス様、心ここに有らずって感じで全然動かないんですけど…。どうしたんでしょう?」
いつもなら組打ちを終えた三人に、最低でも一言二言は直す箇所を伝えて、速やかに次の鍛錬へと移るのだが…。
瞬きもせず難しい顔で黙考を続ける姿に、子供達は不思議そうにしている。
「あのユリウス様が鍛錬中に怒らないなんて、珍しいよね。いつもなら立て続けに叱責が飛んでくるのに、今日はまだ一回も無いよ。例の木材も、握り締めたままだしさ」
その鍛錬中に、私語が飛び交っても怒らないユリウスを面白そうに見上げながら、ティータが話を継いだ。
「う~ん……」
二人の疑問に答えようとする俊輔もまた、困惑していた。
ユリウスは近頃、目が合うと逸らしてしまう上に、挙動不審になる時がある。
「ワインとベリーばっか食べてないで、他のものもちゃんと食べて下さい」
と、いつもよりキツめに忠言したせいで、嫌厭されてしまったのだろうか…。
提げていた剣を鞘に納め、そろりとユリウスの正面に立つ。
「ユリウスさん。もう組打ち終わりましたけど、勝手に次始めて良いんですか?」
屈んで彼女の顔をじっと覗き込むと、そこで漸く、蒼い瞳と目が合わさった。
「あっ…。シュンスケ…ッ!? や、そのっ…。次の鍛錬に移っても、構わないが…少し、離れてくれ。近い…」
何故か狼狽え、じりじりと後退するユリウスを見詰める視線に、猜疑の光が宿る。
いつもと違う僅かな異変を察知した俊輔は、ハッと息を呑んだ。
「ユリウスさんなんか、顔赤いですよ。まさか熱があるんじゃ」
素早くユリウスの間合いに踏み込んで額に手を当てると、じゅっと焼き付く音を立てそうな程の熱を指先に感じた。
「ち、違う! 熱なんか無い!」
ますます赤くなりながら、頭を振って俊輔の手を振り落とす。
「そうですか? 風邪とかじゃ無いなら、いいんですけど。最近ユリウスさん元気無いですもんね。今日くらい、甲冑無しでレスリングしても俺は構わないですよ」
ユリウスが元気を取り戻してくれるならと、笑顔で袖を捲りつつ、前傾姿勢で躙り寄る。
「はぁあ!? そ、そんな事…、出来る訳無いだろう!」
喜んでくれるどころか激しく拒絶されてしまった俊輔は、さっと青ざめて目を剥いた。
「やっぱりおかしい…! あのユリウスさんが甲冑無しのレスリングを拒否するなんて事、あるわけない。今すぐ屋敷に戻って、リディルさんに煎薬用意して貰いましょう。それから、ええっと…。アリシアさんとフレイトスさんに連絡して、治癒魔法お願いしないと!」
「だから風邪じゃないって言ってるだろっ! いいから、これ以上私に近付くな!」
例の木材を投げ捨て、脱兎の勢いで逃げるユリウスを全速力で追い掛ける。
「熱があるのにそんなに動いたらダメですってば! 俺、馬鹿だから風邪移る心配ないので大丈夫です!」
「…違う! 全然分かってないし大丈夫じゃないだろ馬鹿者ッ!」
鍛錬場をぐるぐると、光の速さで何周も駆け回りながら言い合う二人に、アルマとティータは共に呆れ顔で、声もきっちり揃えて零した。
「……何やってるんだろうね、あのバカップル」
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