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31.
「ティドロスの勘違い王子を峰打ちでミンチにした上、ユリウスさまに大胆な告白をしておでこにキスまでしたってほんと? 大人しそうな顔をしてるのに、やるじゃない。シュンスケ」
「ミンチの件は別の誰かの所業だと思うんですけど…。そんなことより、いいんですか? また王宮を黙って抜け出して。バレたら大騒ぎになりますよ」
咳払いし周囲を隈なく警戒する俊輔の隣には、白い大きな布を頭から被ったフラウディル国の王女、クレスがいる。
彼女は日頃から傾慕してやまないユリウスのプライベートを、植え込みの隙間から熱心に覗いている最中だった。
「いいの~。久々の息抜きなんだし、抜け出したのがバレる前に帰れば大丈夫よ。……あぁ、子供達と戯れるユリウスさまも素敵。玄天に輝く凍て星よりも光彩を放つ麗しいお姿。王宮の外壁に念写しようかしら…」
前のめりで植え込みに頭を埋めて行く背中を、苦笑いで見遣る。
庭先で箒を握っていたら、お忍びでやって来たクレスにここまで引っ張り出され、否応無しに話し相手兼、護衛役を任命されたのだ。
「気が済んだら、騒ぎになる前に王宮に戻って下さいよ。俺もまだ掃除する所が残ってますし。それに、激怒したアーリーン様がまた玉ぶん投げて来ますよ」
クレスの実の姉にして、婚約者でもあるアーリーンの名前を出すと、彼女の華奢な肩がピクッと跳ねた。
おもむろに姿勢を戻し、くるりと振り返る。
「シュンスケ、あのね…。今日はアーリーンの事で報告があって、ここまで来たの」
「報告?」
忙しなく指をもじつかせていたクレスは喉をこくりと鳴らすと、被っていた布を外して顔を上げた。
「私、アーリーンと結婚しようと思っているの」
「えッ!?」
驚いて食い入る様に見返した瞳には、撃実な光が宿っている。
あんなに姉との結婚を嫌がって愚痴を溢していたのに、暫く会わない間にどんな心境の変化があったのだろう。
固まったまま言葉を探していると、
「ち、ちちち、違うのよ? 別に、そんな、アーリーンが好きだとか、そういう変な話じゃなくって…!」
まだ何も言ってないのに額に汗を浮かせて否定したクレスは、自分の正直な胸の内を確認しながら、ぽつぽつと語り出した。
「私ね…。『人』では無い王族がこの国を統べている事に、ずっと引け目を感じていたの。同じ『人』である司教や導官の方が、私達よりも統治者として相応しいんじゃないかって。…ううん。自分だけじゃなくて、みんな本当はそう思ってるのかなって、自信が持てずにいたの」
現在、クレスを含めた八名で政務を分担している王族達は、建国の礎となった龍族の王、フラウの末裔にして国のトップ、象徴であるが、国民の生活に深く根差した司教や導官達の方が、尊敬を集めやすいと言う現状がある。
それを表立って指摘したり揶揄する者はいなくとも、執政をサポートする助司教達と幼い頃から接する機会が多かったクレスは、彼女らの言動や態度から、何か感ずる所があったのかも知れない。
「でもね、グアド族の砲撃で、城壁が破壊された時…。助司教達の制止を振り切って、お母様達と北部に駆け付けた時の事なんだけど」
砲撃を受けた当初、瓦礫に埋もれた通りには負傷した人々が上げる呻き声が満ち、救助にあたる武官らの掛け声や怒号が方々から飛び交って、北部の街は惨憺たる有様が広がっていた。
ぬるつく石畳を見下ろせば、誰のものとも知れない無数の遺体と血溜まり。
乾いた風音につられて視線を上げれば、崩れるはずのない牢固たる城壁に空いた、巨大な穴。
そこから吹き付ける砂礫交じりの強風は、辛うじて生き残った人々を容赦なく打ち据え、押し隠した恐怖心まで暴き、吹き上げるかの様だった。
また、次の砲撃が命中したら。
…今度こそ、助からない。
今すぐ叫んで逃げ出したくとも、込み上げてくるのは空嘔ばかりで、負傷した身体は鉛を飲まされたかの如く鈍重として動かない。
多くの人が絶望に呑まれ、希望を失いかけた瞬間だった。
太古の昔、戦火で大陸の東が灰燼と化し、悲嘆に暮れていた人々に救いの手を差し伸べたという白金の髪を持つ女性達が、言い伝え通り忽然と現れたのだ。
この国に住む者なら、子供だって知っている。
各地にある聖堂のステンドグラスに描かれた、フラウディル国の始まり。
『人』に勇気を与えて先導する、英邁なる君主達の姿を。
「何も言わずに来ちゃったから、みんなすっごく驚いて最初は縮こまってたんだけど。励まし続ける内に、少しずつ笑顔が戻って来てね。幾つか言葉を交わし合った時に、気付いたの。フラウディルの人達と私達の間には距離も段差も無くて、互いに慈しみながら、国を想う心も同じだったってこと…」
俊輔を見上げる瞳には、祈りにも似たひたむきさがあった。
「私はフラウが命を捧げて遺した国土を護り、この国の人達に安寧をもたらす為にも、悲願を成し遂げたいの。必ず、フラウ・エレンディルの木を増やしてみせるわ」
「クレス様、…それは」
咄嗟に掛けた言葉が掠れる。
いつ枯れるとも知れない上に、唯の一つしかないフラウ・エレンディルの木を増やせるかどうかは、この国にとって死活問題に関わる。
しかし、何人もの王族が木に変じる前に魔力を使い果たし、石へと変じた過去を知っているだけに、おいそれと頷く事は出来なかった。
そんな俊輔の心情を汲み取ったのか、ゆるゆると頭を振る。
「それが私達王族の、宿望なの。フラウの意志を継ぎ、彼女が護りたいと願った人々を護り続ける事が、私達に与えられた役目なのよ。シュンスケも、ユリウスさまを護る為に…。覚悟を決めたんでしょ?」
明瞭な声で言い切ったクレスは、至極穏やかな表情でいる。
「ふふ、そんな顔しないで。私は悲観なんてしてないし、失敗したとしても私の子供が、私達の意志を継いでくれると信じているもの。……まぁ、アーリーンとの結婚は正直、憂鬱だけどね」
急に、それまでとは一変して顰めっ面になったかと思うと、彼女はぶつぶつと愚痴を溢し始めた。
「アーリーンは言う事が細かくてガミガミと頭ごなしに叱って来るから、こっちまで苛々してくるのよね。神経質だから一緒に居るだけで気疲れするし。王宮の内と外じゃ性格が全然違うって言うか、国民の前では猫被ってるし。あ~あ。アーリーンと結婚したら私、ストレスで抜け毛が増えちゃうかも。あっ、ユリウスさまの髪の毛見っけ」
「あ、あの、クレス様」
「アーリーンは優等生ぶった性悪だけど、私にはたま~に優しくしてくれるのよね…。そういう所は好き」
「クレス」
「なによ」
ユリウスの髪をいそいそと懐に仕舞い終えたクレスは背後を振り返り、びしっと固まった。
そこにはいつもの光る玉ではなく、アーリーン本人が眉間を険しくさせて押し立っていたのだ。
顔立ちはクレスと同じだが上背があり、確かに彼女が言った通り、優等生ぶった性悪な雰囲気がある。
「ひぃぃいいッ…! い、いつからここにっ!?」
「私との結婚は、正直憂鬱~。辺りから」
「なんでそんなタイミング良く……いや、悪すぎでしょわざとなの?!」
「クレス」
「はわわわわ…」
アーリーンは、残忍なドラゴンに睨まれた蛙みたいになっているクレスの顔先まで渋面を近付けると、
「…ほら。早く帰るわよ」
「ひあっ!?」
思わず叫びかけた婚約者を愛おしそうに抱き上げ、一人おろおろする俊輔に向き直った。
「ありがとう、モリヤ。君が我が国の一員となってくれた事、皆を代表して心より感謝する。フラウも…、君を歓迎しているだろう」
「ありがとうございます」
慌てて跪いた俊輔に目を細めて頷き、踵を返す。
「あ~っ待って~」
クレスは抱えられた腕の中で身体を捩り、精一杯腕を伸ばして手を振った。
「シュンスケ、また今度ね! もぉ…アーリーンったら、いっつも私を子供扱いするんだから」
真っ赤な顔で抗議する姿にクスクスと笑みを溢し合うと、アーリーン達は足元から溶ける様に、地中へと吸い込まれた。
その日、夕餉の後でユリウスに呼ばれた俊輔は、いつも通り片付けと入浴を済ませてから、彼女の自室を訪ねた。
おそらくいつもの寝酒の話し相手に呼んだのだろうが、
( そういや、ここ最近はユリウスさんに呼ばれて無かった気がする…。う~ん、いつからだったっけ? )
と、その理由も時期も大して考えずに、ドアをノックしていた。
「失礼します」
無言で俊輔を出迎えたユリウスは目が合うと、ガウンの裾をさっと翻して、南側にある出窓へ行ってしまった。
湯浴み後の残り香を辿る様にして彼女の元へ向かうと、星影を背にしてユリウスが振り返る。普段とは違う緊張感を纏わせる彼女の前で、俊輔も自然、背筋を伸ばしていた。
「今夜は、その…。シュンスケに大事な話があって、呼んだんだ」
「話? お酒はいいんですか?」
出窓の近くにある円形のテーブルに視線を移す。
いつもなら、そこには大量のワインとグラスが用意されてあるのだが。
「今日は、いらない」
「そうですか。珍しいですね」
それだけ、真剣な話なのだろうか。
ユリウスは落ち着きなく何度も蒼い瞳を瞬かせていたが、やがて、引き結んでいた口唇を開いた。
「まだ数年先の話ではあるが…。アルマとティータが成人したら、キルシュタインの家督と財産、権限の全てを二人に譲り、私は…この屋敷を出ようと思う」
「!」
驚愕に目を見張った俊輔に、迷わず頷く。
「私に残るのは、名前だけだ。身分がどう変わろうとも、武官としての責務はこれまでと変わらず果たす気でいるが…」
『元貴族』という微妙な立場に変わっても、おそらく降格は無いだろう。
貴族でないと言うだけでユリウスが五将から外れてしまったら、豪放で不真面目で粗忽者だらけのフラウディル軍が、本気で終わってしまう。
ユリウスは貴族として生まれた自分に拘りを持っていないが、権限を放棄すれば、様々な場面で恵沢を失うのは俊輔にも容易に想像が付いた。
元々貴族らしからぬ所はあるが、次期当主として丹精込めて育てられたユリウスが、ごく普通の草民と同じ暮らしが出来るとは、到底思えなかった。
「…貴族をやめて屋敷を出るなんて、やけに思い切りましたね。また強引な縁談話でも持ち上がったんですか? それか、ユリウスさんの恋人を親戚たちが反対してるとか」
アルマとティータを養子に迎えてからは落ち着いたが、それでも定期的に舞い込んでくる縁談を断る度、食傷気味に溜息を落とす姿を俊輔は何度も見ている。
そうした煩わしさを断ち切り、一人か、或いは新しい恋人と心穏やかに暮らしたいと願うのも、無理はないと考えた。
「こ、恋人はいない。中央の外れ辺りで家を探して、そこに住もうかと思っているんだが…。私一人では心許ないと言うか、その……」
紅潮したユリウスの額に、薄く汗が浮かんでいる。
昼間に会った時のクレスみたいだな。と、俊輔は頭の片隅でぼんやり思った。
「ユリウスさんが屋敷を出て一人で暮らすなんて、俺…。心配です」
「シュンスケ……」
黒く縁取られた金の瞳が、真摯な光と熱情を湛えて、一心にユリウスを見詰めている。
白銀の煌めきが揺蕩う中で告白された、舞踏会の夜と、同じ瞳で。
あの時の肌を焦がす様な熱さを思い出し、見詰め返す蒼い瞳が蕩けて潤んだ。
「人は、ワインとベリーだけじゃ生きていけないんですよ。気ままな独り暮らしだからって、自分の好きなものだけ食べちゃ駄目ですからね」
「……は?」
ぽかんと口を開けるユリウスの前で、丸太みたいな腕を大仰に組む。
「ユリウスさんって生活能力マイナスだから、凄く心配です。普段の食事もそうですけど、洗濯や掃除も出来ないですよね? 俺が使ってる箒壊したまま黙ってたの、ユリウスさんでしょ」
「うん……。あ、違う、そうじゃない。だから、お前も私と一緒に……」
「明日から、ユリウスさんが自分の事自分でちゃんと出来る様になるまで、ひたすら特訓ですからね! リディルさんと俺がまだ屋敷にいる間で良かったですよ。ははは」
「………」
ユリウスは、自分の気持ちに気付きもしないで呑気に笑っている俊輔に、殺意すら抱いた。
握り締めた拳がギリギリと軋む音を立て、甲を這い伝う血管が倍に膨れ上がる。
「シュンスケ……鈍感にも程があるぞ。私はお前と二人で暮らしたいと言っているのに、何故、それが分からないんだ」
「……はぁ?」
襟元を掴まれてもとぼけた返事しか出来ない俊輔を、ぐいっと鼻先まで引き寄せる。
「お前の事が、好きだと言ってるんだ! みなまで言わせるな馬鹿者ッ!!」
「!?」
今度こそ俊輔が、ぽかんと口を開ける番だった。
飽きる程長い時間をかけて漸く、呆けきった声を腹の底から絞り出す。
「へ…っ? 俺の事が、すき……? でも俺、グアド族みたいな見た目だし、男ですよ?」
ユリウスはばつが悪そうに掴んだ襟元を離して一歩下がると、
「お前がグアド族だろうと異世界人だろうと男だろうと、関係ない。シュンスケは……素敵だ」
皺が寄った襟元をおざなりに撫で付けながら、率直な想いを伝えた。
「それに…。あんな告白をされて、平気でいられる奴なんて、いないだろ…」
「………」
頬を染めるユリウスの目の前で、俊輔は自分の右頬を、ぎいーっと真横に引っ張りだした。
「…どうしよう」
「シュンスケ、血が出てる」
「ユリウスさんどうしよう。痛くない」
流血にも構わず爪を立てて頬を引っ張る俊輔の顔が、ぐしゃりと情けなく歪む。
「全然痛くない。どうしよう。痛くないって事は、これ夢なんですよね。そんなの嫌だ。もう夢オチなんて、こりごりなんです。ユリウスさん、今すぐ俺の全身を切り刻んでもっと痛みを与えて下さい」
「シュンスケ、落ち着け。これは夢じゃない」
血だらけで泣き笑いしている俊輔の胸に手を添え、つま先を伸ばして額に優しく口づける。震えている口唇に指先で触れてから、離れた。
「ユリウスさん…」
銀の髪を星影に反射させている彼女も、今の俊輔と全く同じ表情をしていた。
「好きだ。シュンスケ、私にも……」
みなまで言わずとも、何を望んでいるのかが分かる。
ユリウスが望むことなら、何だって叶えたい。この先も、ずっと。
言い終わらぬ内に、俊輔はそっと口唇を重ねた。
終わり
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