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3.
すっかり陽も落ちた夜陰の中を、西部からキルシュタイン家厩舎まで駆け戻った俊輔は、出迎えてくれた御者のフローラと共にルーンを労い、たっぷりの食事と水を与えてから、屋敷正面玄関の扉を開けた。
「戻りましたー」
エントランスに足を踏み入れると、通りがかったメイドが畳んだ大量のリネン類を抱えながら、彼に笑顔を向けた。
「お帰りなさい!シュンスケさん」
「何かお手伝いすること、ありますか?」
まだ、アスラが厩舎に戻っていない。
ユリウスが屋敷に帰って来るまで、もう少し時間がありそうだった。
「ユリウス様宛の郵便物の仕分けが、まだ出来ていないのよ。今日もすごい量で…。やって貰えると助かるわ」
「はい。分かりました」
ダイニング横の小部屋に向かうと、言われた通り、テーブルの上には蝋で封された手紙や、綺麗に包装された箱がうず高く積まれていた。幾つか取り上げて見て、眉根を寄せる。
「半数が、縁談の内容みたいだな…」
喪が明けた途端、ユリウスに縁談を持ち掛ける書状が毎日の様に届けられている。
武官の家からは勿論の事、驚く事に導官や、隣国であるティドロスの男性貴族からも、贈り物と一緒に、小さな肖像画が屋敷に届けられている。
ユリウスが見やすい様に書類を整理して行きながら、俊輔は胸の奥で燻りだした想いに、奥歯を噛み締めた。
ズラリと並んだ縁談相手の肖像画の中には、キルシュタイン家の親戚、遠縁からの物もある。
一刻も早く一族の中から、再婚相手を決めよ。
と、最初から決め付けた内容の書状まで、肖像画に添えてあった。
( 喪が明けたからって、もう再婚を迫るだなんて… )
ノアを亡くしてまだ三ヶ月しか経っていないのに、ユリウスの気を惹こうとする贈り物や恋文が、毎日届いているのだ。
ユリウスの気持ちも考えず、ノアの事も…軽く見ている気がして、不快感に一層、眉間の皺が深くなる。
握りしめた手のひらに爪が食い込んで、鈍い痛みを感じた。
揃い終えた書類を置き、ため息を漏らした大きな背中に、凛とした声が掛けられた。
「今日も、凄い数だな」
「ユリウスさん…」
ドキッとして振り返ると、全身を黒衣に包んだユリウスが、机の上を呆れた顔で見渡しながら立っていた。
「お帰りなさい。すみません、出迎えもせず」
主の帰宅を知らせる、ベルの音にも気付かなかった事を謝り、彼女の羽織っていたマントと、剣を受け取る。
「いや。書類は後で確認するから、先に食事を済ませよう」
ユリウスは気にした様子も無く、目についた肖像画を一つ、取り上げた。
そこには、豊かな銀色の髪を編み、色鮮やかな生花で飾り付けた、美しい女性が描かれていた。
ノアに良く似た若草色の瞳で、目の前のユリウスを一心に、見つめている。
肖像画に添えられた親戚からの忠告にも視線を移したが、彼女の蒼い瞳からは、感情の機微は見受けられなかった。
「私は、誰とも再婚しない。親戚達にも明言しているんだがな」
何の感慨も込めずに言うと、画を元の場所に戻し、ダイニングへ行ってしまう。
彼女の寵愛を得られなかった画の主は、今度は何もない天井に向けて、空虚に微笑んでいる。
( ユリウスさんの性格を考えたら、再婚はしたくないだろうけど…。キルシュタイン家の当主なんだし、無視は出来ない、よな )
紆余曲折を経てやっと結婚したかと思えば、跡継ぎを残す前に、彼女は早くも未亡人となってしまった。
周囲の血縁者達が跡継ぎを急かすのも分かるが、再婚を拒むユリウスの気持ちを考えると、様々な感情が込み上げて来る。
クローゼットの扉をきちんと閉め、もう一度深くため息を落とした。
「シュンスケさん」
一連の様子を入り口の辺りで見守っていたリディルが、背を丸めた彼に近付いた。
「お腹、空いたでしょう。お食事沢山用意してありますから、行きましょう」
にこっ。と、柔らかく微笑んだリディルに、俊輔は気持ちを切り替えようと、笑みを返した。
「…はい」
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