ある年老いた男

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ある年老いた男

 ここ、アーグラ城の公謁殿にて、あの御方に初めて御目通りが許されたのは、私が十五のときでした。  その数日前、私は父から、このさき一生あの御方の身の回りの世話をするようにと言いつけられたのです。普段の朗らかで温厚な父は鳴りを潜め、見たことのない厳格な面持ちがそこにありました。 「お前の魂を、全身全霊を、神にお捧げするつもりでお前の生涯をあの尊い御方にお捧げしろ」  そう言われた日から私は、食事も喉に通らず、夜も満足に眠ることができませんでした。ですからまるで死にかけの鼠のような酷い有り様で、あの御方の前に立ったのです。  あの御方はまだ六つでした。  美しい織りの入った柑子色のチュニック(上衣)、孔雀の羽飾りのついたターバン、幾重にも巻かれた首飾り。紅玉石(ルビー)真珠(パール)翠玉石(エメラルド)金剛石(ダイヤモンド)金緑石(キャッツアイ)――当時の私にはまだ名前も判らぬ世界中から集められた高価な宝石が、(かしず)くようにあの御方の全身を取り巻いておりました。  あの御方は、二頭の黄金の獅子が刻まれた玉座のような肘掛け椅子に深く身を沈み込ませ、下から私を見上げました。見上げられているというのに、見下ろされているように感じたものです。  その黒い双眸には、泉のような静謐と炎のような激情が同居しているようでした。もはや私は鷹の王に睨まれた瀕死の鼠でした。両脚はがくがく震え、滝のような汗が全身を伝い、いつ気を失ってもおかしくない状態でした。
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