猿婦人

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猿婦人

さてもさてもこちらでお目にかけますのはお猿の貴婦人、ひと呼んで猿婦人でございます。猿と言ってもそんじょそこらの卑しい猿とは一味も二味も違いますんでよおく、よおくご覧下さいませよ、ひとッつも見逃すことのないようにどなた様もよおく、よおくお目めをパッチリビックリ大きく見開いて、ね、ご覧下さいませよ。心の準備はよろしいか。それでは、ハイ、こちら猿婦人でござい!  サーカス小屋らしき大きなテントの内部は鉄柱で支えられ、天井は赤白ストライプの薄汚れたキャンバス生地で覆われている。緑色の塗装がところどころ剥げ落ちた粗末で固い木製の折りたたみ椅子が地面にズラズラと並べられ、どういうわけだかアルベルトは、観客席の中央付近に座り舞台を眺めるかっこうになっている。だが彼の他に観客は誰もおらずまわりの椅子はガランとからっぽのまま。正面にある舞台にはエンジ色のたっぷりとしたビロードに金の房飾りを付けた立派な緞帳が下ろされ、貧相な雰囲気のサーカス小屋にちぐはぐで不釣り合いな印象を与えている。  口上を述べていたガニ股ハゲ頭の小男が手を高く上げ合図をすると、緞帳がスルスルと上がり絢爛豪華な金色の玉座が表れ、宝石を模したガラス玉がズラリと並ぶ台座はスポットライトの光を受けギラギラと輝く。その上にちんまりと座っているのは、なにやら赤いドレスに身を包んだお人形のような。おしろいをこれでもかと、はたいた真っ白い顔に濃い青色のアイシャドー、ピンクの頬紅、真っ赤な口紅。バサバサと長いつけまつげをし夜会に集まる貴族のご婦人さながらこんもりと高く派手に結われた髪型、体つきはふつうに人間の女児のようで七、八歳ぐらいと思われる。すると突然、ソレがなにやら叫び声をあげ出した。 「キイィィィーキィィーィー」  すると先ほどまでの人間らしい印象とはうって変わって耳の方まで大きくさけた口から、歯茎ごと大きな歯をニュッとむき出し奇声をあげるその姿は、なるほど猿に違いない。椅子からぴょんと飛び降りると客席に向かって飛びかかろうとする、が、首につながれた綱をぐいと引かれのけぞった。 「キィィィ、キィィィ、キィィィイイイー」  猿婦人は狂ったように四肢をバタつかせながら、なにごとかを必死に訴えている。するとそのさまを眺めているアルベルトの脳裏に、なにやら得体のしれない不吉な影のようなものがよぎった。一瞬、ほんの一瞬、その猿婦人が甘えるような顔をして自分に抱きついてくるイメージが浮かんだのだ。なんだ、今のはなんだ? 「お兄ちゃま! お兄ちゃま! お兄ちゃまあああああ」  人というよりは猿に近い獣が発するキィキィという奇怪な叫び声、それがアルベルトの頭には意味を持って自分に語りかけてくるように響き、冷や水を浴びせられたがごとくゾッとして全身が硬直する。これは、エルザ。私の可愛い妹、エルザではないか?
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