イラ・イラディを知らない少年

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 住宅街の路上で、小学生くらいの少年がふたり、話し込んでいた。 「……あるところに、怒ると凄いことになる人がいてさ。人が大勢死ぬんだ。だから、その人の怒りには、特別に名前がついてるんだ。『イラディ』っていうんだって。  お前のママのイライラデーに似てるな。」 「ほんとだ! しかも『イラ』が1つ多い!」 「だから、しかたないよ、怖いのは。」 「うん……。でもなあー。毎月は困るよ、本当。」  そのとき、2階の窓から甲高い声がした。 「昌之! 宿題してから遊びなさいって、あれほど言ってるでしょう!」 「えー。だって、宿題してたら、外暗くなっちゃうもん。暗くなる前に帰れって、ママいつも言ってるじゃん。そしたら、遊べないじゃん。」  口答えした少年に、ママのさらなるカミナリが落ちた。  友達の少年は笑って言った。 「『イラディ』って、『神の怒り』って意味なんだぜ。口答えするなんて、お前も怖いもの知らずだな。」 「げっ! 超怖えじゃん、なにそれ!」 「なにごちゃごちゃ言ってるの! さっさと言うこと聞かないと、あんたの分のご飯捨てるわよ!」 「そ、そそそそ、そりゃないよ!  じゃあな、和彦! また明日!」 「うん、明日な!」  昌之は家にかけ込んで行った。  和彦はそれを見送って、しばらく立ち尽くしていたが、なにか諦めたような顔で歩き始めた。話し相手が帰ってしまったから、自分も戻るのだ。  戻る先は、児童養護施設だ。  ………先生たちは優しい。子どももたくさんいる。でも、小さい頃に家族と住んだ家とは違う。 「イライラデー、か。」  和彦は知らないことだが、その児童養護施設では、スタッフによる虐待防止の一環として、生理前休暇が設けられている。 「マーマのイライラデー♪  マーマのイラ・イラディ♪………」  和彦はつぶやくように歌いながら、節に合わせて小石を蹴った。  母親のイライラ顔は覚えていない。  覚えているのは、優しい顔と声ばっかりだった。  寂しいときに浮かぶのは、大好きだった顔ばかりだ。だけど………。  学校の先生は「つらいときは、お母さんやお父さんの笑っている顔を思い出しなさい。」って言う。 「……………」  和彦は蹴っていた小石を側溝に蹴り落とした。  夕陽に手をかざした。  血潮が見える。 「僕は生きてる………けど。」  それ以上表現する術を、和彦はまだ知らなかった。聞かれると、いつも頭も口も動かなくなる。 「………本でも読もうっと。」  少年はかけ出していった。  たぶん気持ちは同じだけど、たぶん和彦と同じ理由で通じ合えない『きょうだい』たちの元へ。
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