2. 流されるな

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「よ、よくわかんねーけど……上がっていきます?」  拓也のかなりズレた気遣いに、「いいのか?」と即座に返答する英司。  いいわけがない。そろそろ堪忍の尾が切れそうになって、千秋は英司に詰め寄ると背中をグイグイと押した。  そして、ヒソヒソ声で訴える。 「もう!本当帰ってくださいよ!」 「おい押すなって。なに、上がったらまずいことでもあんの?」 「ないですけど!拓也に迷惑なんで!」  エレベーターの方まで押してやろうとしたが、途中で立ち止まった英司が、顔だけこちらに振り向く。 「じゃあ約束しろ。明日、ちゃんと帰って来れるな?」 「はあ?約束なんて……」 「約束」 「……わかりましたよ。このまま柳瀬さんが帰ってくれるなら、約束します」  正直、このまま拓也の部屋に留まるのもどうかと考えていた。言われなくても出ていくつもりだったし、だからここで約束してもしなくても、千秋のやることは変わらない。なら、それでさっさと帰ってくれるなら、……これくらい別にいいか。 「ん、わかった。じゃあ帰るな。おやすみ、高梨」 「わっ。……はい、おやすみなさい」  千秋の頭を一撫ですると、さっきまでのしつこさはどこへやら、あっさり来た道を戻っていく。てっきり念を押されると思っていたから少し拍子抜けだ。  英司の広い背中がエレベーターに乗り込んだのを確認すると、千秋もこちらを心配そうに見ていた拓也のところに戻る。 「先輩大丈夫だったのか?なんか話してたみたいだけど」 「ああ……今日は送ってもらっただけだし、帰ってもらった。悪かったな、いきなり連れてきて」 「それは全然いいけどよ」  そう言った拓也は、玄関ドアを開けながら「俺初めて会ったのに嫌われてるのかと思ったわ」と続ける。  ごめん拓也。とてつもなく理不尽な理由で、それはあるかもしれない。  大して気にしていない様子の拓也は、そのまま呑気に笑いながら部屋に入っていった。そして、千秋のすぐ後ろで玄関のドアが閉まる。  千秋は、消えてくれないあの人が頭に触れた手の感覚に、一瞬、眉間に皺を寄せた。 「拓也、話があるんだけど──」
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