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友達
目の上を覆っていた手がどかされると、僕は思い出の世界から現実世界へと帰って来ました。どれほど長く目を塞がれていたのでしょう。暗闇にすっかり目が慣れて、駐輪場でさえ明るく思えました。
「ぼくのことを思い出してくれたかな? 大希くん」
「思い出したし、こうして君と会話してしまったから、僕は心療内科に行くことにするよ。いや、精神科で診てもらうべきかも知れない」
「どうしてさ。感動の再会じゃないか」
影くんはその姿形や喋り方だけでなく、仕種まで昔のままでした。立体になって地面から起き上がった影法師が、目の前で小首をかしげます。
「どうして? 君は僕の、空想上の友達だからだよ。影くんという子供は、実際には存在していなかったんだ」
影くんは肩をすくめて、首を左右に振りました。声に出さなくとも、「じゃあ今、大希くんの目の前にいるのは誰だい?」と言っているのが分かります。
「辛い境遇を耐え切るため、僕の心が『影くん』という男の子を生み出したんだ。君は僕だけに見ることが出来て、僕だけが会話することの出来る、空想上の友達だったんだよ。そのことは児童養護施設に入って、治療を受けて初めて知ったんだ」
僕は胸にそこはかとない不安を抱きながらも、自分が意外と冷静でいられることに満足していました。数年間の、治療の成果が出ているのかも知れません。
「両親が自分を虐待するのは、『ワルモノ』のせいだと僕は思い込んだ。いや、先生が言うには、ワルモノという妖怪じみた存在を夢想することで、現実から目を逸らしていたらしい。両親が悪いんじゃない、ワルモノのせいだと思うことで、精神の苦痛から逃れようとしていたんだと思う」
「ワルモノに関してはそのとおりさ。だけど、ぼくは違うよ」
「違わないよ。僕は部屋に閉じ込められていたんだ。最初のうちは学校にだけは行かせてもらえたけれど、次第にそれさえも許されなくなった。孤独と空腹に耐えきれなくなった僕は、こっそりと部屋を抜け出して自分の家や近所の店から食料を盗むようになった」
僕は腹に拳を当てました。ふいに空腹の記憶が蘇ったからです。
「そうでもしなければ、生きられなかった。でも泥棒はいけないことだ。子供だった僕の心は罪悪感に押しつぶされそうになって、逃げ場を求めた。自分がしている悪いことを空想上の友達がしていることにして、しかも自分はそれに気付かない、という筋書きを作り上げたんだ。僕は、まるで忍者か影のように素早くて、どこでも自由に出入りしてしまう友達をでっち上げた」
「それがぼく、『影くん』だって言うんだろ? まあ、論理的な矛盾は見当たらないね」
影くんは腕を組んで鷹揚にうなずきました。
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