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最古の思い出
私が生まれたのは現在の大阪は平野区と訊かされている。だが平野区での思い出は同年代の友達ではない。
私の目の前のロケーションを鉄製の格子が遮る。その面格子はいかに幼い私としても、容易に潜り抜けることのできないほど細かなものだ。
とは言っても刑務所に有るそれではなく、幼稚園の正門の門扉の事である。
その門扉の向こう側にやって来たのが今は亡き私のお袋だ。そう当時は「お母ちゃん」と呼んでいたようだ。
「フゥちゃん、牛乳やで、牛乳持ってきたで」
と言ったかどうかは定かではなく・・あくまでも私の勝手な想像だ。
でもお袋が笑顔で牛乳瓶を握っていたのは明確に覚えている。
当時の私が5歳とすれば、時は昭和28年頃になる。果たして瓶に詰められた牛乳など、その当時に存在していたのだろうか、それこそ疑わしいものである。
私の幼少期はとにかく引っ越しが多かった。今しがた平野区の話をしたかと思いきや次は同じ市内の今里に引っ越していた。
ここでも友達と遊んだなんて記憶はない。ブリキで作られたアメ車を真似た大きな玩具なら覚えている。それは私が跨いだりしてもヘコマない丈夫な車だった。
ん~?、次の話は友達? 今、思い出したから書いてみた。
私が親から小遣いを貰うのを知った兄は、駄菓子屋さん迄着いてきた。
7つ歳上の兄は私に『日の丸キャラメル』を買うように強要する。
キャラメルが目当てかと思いきや、何とオマケのプロマイドが欲しかったようだ。
「お前も巨人ファンになれ!」と言われたのかどうか定かではないが、巨人軍のプロ野球選手のプロマイドを集めていたように記憶している。でもこの人は兄であって友達ではない。やっぱり友達はいなかった。
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