あの時もそうだった

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あの時もそうだった

「はいこれ、誕生日のプレゼントや、お正月のお年玉と兼用や!」 「うわぁ~ホント! 嬉しい! 欲しかってん、これで治るよな・・」  私の誕生日は1月3日、お正月の真っただ中である。そのプレゼントとして、厳しい家計の中からお袋が毛糸の手袋を、正に年の暮れに前倒しで渡してくれた。 あかぎれしている私の手を1日でも早く労わってやりたいとの親心だろう。  ところが、その大切な思いやりを私は一夜にして砕いてしまった。  正月を目の前にして、手袋の片方を失くしてしまったのである。 当時の私が思った以上に、お袋はダメージを受けたようだった。  苦しい家計の中、1銭でも無駄使いが許されない中、我が子のあかぎれの手を不憫に思った一世一代のプレゼントの手袋を、いとも簡単に片方を失くしてしまったのだから、親としてはたまらなく情けなく思ったのだろう。 「もうこの子言うたら!・・お母ちゃんがどんな思いで買うた思てのん!・・情けないよ! 親の気持ちも知らんと、ホンマに・・もぅ、あんたみたいな子!出ていき!!」  親父が居ないなか、父親と母親の一人二役を演じていたお袋、どこにもやりようのない『やるせなさ』が、勢い余って言い過ぎたのかもしれない。  確かに私も悔しかった、だから母の言うことはもっともであり、いつも屁理屈を言う私だが、逆らう気持ちになれなかった。  私は言われたまま、年の瀬の冷え切った闇の中を歩き続けた。 涙で歪んだ電柱の外灯を幾つ数えたころだろう、私には行く当てが無いことに気が付いた。  立ち止まったそこは、時々遊んだことのある公園の入り口付近だった。 公園の入り口だから?・・電柱の上には丸い傘のついた外灯が灯っていた。 『ここでも怒られたことが有るよな・・』 この夏、アイスキャンデーの仕入れの手伝いで、滝井の問屋さんからアイスキャンデーを預かっての帰りの事だった。 この公園に差し掛かると、 「板倉、ワンバン野球入れへんか? 一人足らんねや!」 「ウン、ちょっとだけやで」 『箱にはドライアイスが入ってるし、ちょっとだけなら・・』  あまりの遅さにお袋が心配して私を探していた。 そして公園で私を見つけた時はアイスキャンデーは既にオレンジやブルー色のジュースになっていた。その後は言うまでもない。 「フゥちゃんと違(ち)ゃうの?・・フゥちゃんやんか何してんのこんな遅い時間に?」  家を出てから○○分は経過していただろう、近所の天ぷら屋さんの叔母ちゃんに見つかってしまった。同級生の吉岡のお母ちゃんでもある。    この友達、少しばかり水の入った水槽に大きな蛙を入れ、店の蠅取紙(はえとりがみ)にくっついたハエを餌として与えては私に自慢する。 水槽の中の止まり木に止まった蠅を一瞬にして舌で捕獲する、そこが面白いと、少しばかりの変わり者である。  天ぷら屋の叔母ちゃんに声を掛けられてから10分も経っていなかった。 「フゥちゃん・・フジオ・・どこや、何処に隠れてんのや・・」 『お袋の声や・・探しに来てくれたんや、 でも何で分かったんやろ?』 子供だから?・・いや何ぼなんでもそれくらいわかるだろう。私は無意識に電柱の陰から見つけやすい外灯の下に移動した。 「フゥちゃんか?・・何してんねんな、風邪ひくやないの!」 「せやけど、お母ちゃん『出ていけ!』言うたやん」 「アホやな、この子は・・」  またしても、お袋の言葉と同時に冷え切ったエプロンに私の身体が包まれてしまった。
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