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このように記憶を整理してみると駄菓子屋生活は僅か2,3年ほどのようだった。意識の中ではもっとやっていたようだが、いい加減ですみません。
数か月ほどの見習いで、メリヤスの縫製を習得したお袋は、自宅(お袋の母の家)で前襟を縫い付けたり、首回り後ろ側にネームを着けたり、輸出用のポロシャツにポケットを縫い付けたりで、一枚一枚が手作業のミシン仕事を始めていた。
まだまだ新米のお袋が誤って歪んで縫製した時など、縫ったミシン糸を解く程度の作業なら私も手伝わされた。
それが終わるとネームの縫い代を機械で織り込む、襟の芯になるカネキンのアイロンかけなどは私が高等学校を卒業する頃まで手伝っていた。
「おい板倉、お前、野球やるか?」
「入れてくれるの?」
「そや、人数足らんねん、帰ってご飯食べたら呼びに行くから一緒にやろ!」
「うん!やる!」
土曜日の4時限目が始まる前に珍しく或る友達が野球に誘ってくれた。勿論いつもではない、人数が足りないときだけだ。
昼までの授業が終わり、私は急いで家に帰った。
「ただいまー、お母ちゃんお腹空いたご飯して」
「ちょと待って! もう直ぐ終わるから」
お袋は未だミシンを踏んでいた。と言っても職業ミシンは動力と言って、電動モーターで動くため、ペタルを漕ぐことはない。
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