とわのゆりかご

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その日から毎週習い事のある日は、あの時計台のある、憧れていた洋館にお邪魔してお茶を頂くのが恒例となった。 (あきら)さんも佐智子(さちこ)さんも撫子(なでしこ)ちゃんも、いつも笑顔で私を出迎えてくれて、お茶を飲んだあとは(あきら)さんが弾くピアノを聴いて佐智子(さちこ)さんと感想を言い合ったり、私のピアノも聴いてくれて助言をくれたりと、有意義で楽しい時間を過ごした。 撫子(なでしこ)ちゃんは何を訊いてもニコニコして「おいし」とか「かわい」とか、簡単な返事しかしてくれなかったけど、それはきっと撫子(なでしこ)ちゃんが『天使』だからなんだと考えれば納得できたし、お茶会を重ねるうちに私のことを「かのんさん」と呼んでくれるようになったから、私は『天使』に認められた気がして誇らしく思っていた。 充実した時間は疾風(はやて)の如く過ぎてゆき、私は五年生になる春を迎え、お稽古をやめさせられて、代わりに進学塾に通うことになった。 最後のお稽古の日、そのことをお茶会で伝えると、(あきら)さんと佐智子(さちこ)さんは、寂しくなるけど頑張って、と私の背中を押してくれた。撫子(なでしこ)ちゃんはいつもと変わらず楽しそうな笑みを浮かべている。 「撫子(なでしこ)ちゃん、しばらく会えないけど、私のこと忘れないでね」 撫子(なでしこ)ちゃんは笑みを崩さずに 「わすれないでね」 と鸚鵡(おうむ)返しだけど返事をくれた。 「受かったら、一番に知らせにきます」 そう言って、時計台の鐘の音を背にお館を後にした私は、だけど受験勉強の厳しさと辛さにどんどん疲弊していって、やっと合格したときにはすっかり心が擦り減ってしまって何週間も寝込んでしまい、そうこうしているうちに小学校の卒業式を迎え、桜の並木道を通って合格した私立の中学校へと進学し、そこでも小学校とは全然レベルが違う勉強についていくのに必死で、その上必ずクラブ活動をしなければいけない校則もあったせいで、毎日が忙しすぎて苦しくて、その日その日をやり過ごすことに精一杯になってしまって、あの時計台から足が遠のいたまま何年も過ぎていってしまった。 私が時計台のあるお館の存在を思い出したのは、それから六年も経った高校三年の十一月のことだった。 付属大学への進学面接が終わり、これでやっと縛られ続けた内部進学のための競争から逃れられる、と安堵したときにふと、あの時計台と(あきら)さんと佐智子(さちこ)さん、そして撫子(なでしこ)ちゃんのことを思い出した。 あの穏やかな家族は今どうしているだろう。 私とさほど歳の変わらない撫子(なでしこ)ちゃんは、どんな風に成長したかな。 あの静謐(せいひつ)なピアノ室や絵画、彫刻の飾られた部屋、何よりあの時計台の古ぼけた鐘の音は、今も変わらず正時になるたび鳴り響いているのかな。 思い出したら矢も楯もたまらず、私は学校を飛び出し懐かしい公園へと向かった。 木枯らしの吹く公園はピクニックをする人影もなく、夏には緑でいっぱいになる木々も葉を落としてやせ細った枝を揺らしている。 無人の公園を足早に通り過ぎ、時計台のあるお館を目指す。 『ボーン』という懐かしい音に顔を上げると、少し離れたところにあるあの時計台が正時を指して佇んでいた。
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