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岩山の竜
「月夜花を摘んでこいだぁ?」
俺は、先程言われた命令を聞き直した。
「聞こえたな。ほら、行ってこい」
俺に命令した女、ジウが腰に手を当てて言った。
「馬鹿かよ、あの花は岩山にしか咲かねぇって……」
「よろしく」
ジウは俺の返答を聞かずに、さっさと店を出てしまった。
俺はしぶしぶ大きな編みかごを持ち、さっさと町外れの岩山に向かった。
「うちの薬草屋はそんなに忙しくねぇだろうが」
と俺は岩山を登りながら愚痴った。
この岩山は、登山する人などほとんどいない為、どれだけ愚痴っても誰にも聞かれない。だから安心して愚痴れるのだ。
「ったく、あの女も美人の無駄遣いだぜ。じゃじゃ馬ジウ姫様がよぉ」
俺が、ぽつりぽつりと咲いている月夜花を摘みながら、愚痴っていると、ポツリと雨が降ってきた。
「うわっ、やべぇ」
次第に雨足は強くなり、俺は近くの大きな洞窟のような所に慌てて入った。
「……さぼれるからいっか」
俺はそっと洞窟の壁際に座ると、洞窟の奥を見た。真っ暗で何も見えなかったが、奥から不思議な良い匂いがした。
「虎は、居ねぇな」
俺はそう呟いて一息つくと、外を眺めた。そして俺は、洞窟の入り口に、大きな柵のようなものがあることに気付いた。それと同時に、俺はある言い伝えを思い出した。
『この岩山の山頂付近には、殺人竜が閉じ込められている。だから岩山に入る時は、用事をさっさと終わらせること。山頂には近寄らないこと。誤って牢屋に入ってしまったら、その奥を覗くこと無く逃げること』
「完遂してるじゃねぇか……」
死ぬんだな、俺。と思ったら、何故か焦りも恐怖も無くなった。すると、洞窟の奥にずっと居たのだろう何かがゆっくり動く気配がした。
「雨宿りさせてくださいな、竜さんよ」
「……構わん、大人しくしていろ」
「へいへい」
俺は、この声の主、竜に従って、大人しく外を眺めていた。思っていたより綺麗な女の声だった。
暫く止みそうにないなと思っていると、再度声がした。
「おい人間。歌は知っているか?」
「何の歌ですか?」
「子守唄とやらだ」
「一つだけなら知ってますよ」
「唄ってくれ」
「は?」
突然の依頼に驚いた俺は声の方を見た。暗闇からの声は少し低くなって応えた。
「歌声によっては、生かしてやらんでもない」
「そうですかい、分かりやしたよ」
「頼む」
声は、どこか嬉しそうに言った。俺は唯一知っている子守唄を唄った。
「……下手なのだな、お前」
最後まで聞いた竜は、淡々と言った。
「ごめんなさいねぇ、音痴でぇ」
俺は恥ずかしくなって、外を眺めた。すると竜は少し動いて言った。
「お前は何が得意なのだ?」
「昼寝です。どこでも寝れますよ」
「つまらん特技だな」
声が近くなっている為、竜が次第に俺に近寄っているのは分かったが、ちらりと声の方を見ても、暗い闇しか見えなかった。
「ところで、お前は何をしにここに来たのだ?」
「これを摘みに来たんですよ」
俺はそっと月夜花を一輪手に取り、声の方に差し出した。
「草?」
「月夜花っていう花です。月の光で咲くんで、俺も、ほとんど蕾の状態でしか見たこと無いんですがね。それはそれは綺麗な花を咲かせるらしいですよ」
「そうか……これが咲くのか?」
「残念ですが、それは無いです。蕾の状態で摘んで、萎れたら咲きません」
「そうか」
竜の声はどこか悲しそうだった。
「蕾の状態で干すと薬草になるんです。効能は疲労回復、鎮痛。あと、いい匂いがします」
「ほう」
「これは摘んだばかりなので、あと十日は干しておかないと匂いもしません。俺の勤めている薬草屋には、沢山あるんですがね……」
これから殺される人間の命乞いみたいになったな。と思った。どうせ高笑いされて、こんなもので生かしてもらえると思ったのかぁ、愚かな。等と怒鳴って殺されるのかと思っていると。竜は穏やかに言った。
「そうか……では、今度持ってきてくれ」
「えっ」
「だめか?」
思わぬ台詞に驚いた俺は、そっと持ち直して言った。
「構いませんよ、竜さん。明日にでも持ってきましょうか?」
「いつでも構わん」
「そうですか……じゃあ、近い内に持ってきますよ」
「あぁ、頼んだ」
竜がそう言うと、雨が止んだ。俺は一輪の月夜花を差し出すと、竜は、いらない。と応えた。
「それじゃあ、また」
「あぁ、またな」
洞窟を出た俺は、後ろを振り向いた。柵の中に光が差して、その中の様子が見えた。銀色の鱗で覆われた竜が、赤い両目でこちらを見ていた。
竜は、俺がその姿を見たと悟ると、素早く洞窟の奥へ入り、暗闇の中へ隠れてしまった。
「ちゃんと持ってきますからねぇ」
俺は洞窟の竜に向かって大きな声でそう言うと、振り向かずに山を降りた。
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