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「竜は人に化けることも出来る。だから、岩牢にいるとされる殺人竜も、人に化けて出てくるやも知れんな」
と岩牢の殺人竜の言い伝えを村人に伝えている流しの男がそう言った。
「竜って何を食べるの? 人間?」
一人の男の子が男に聞いた。男は笑って答えた。
「分からない」
「えぇ」
男の子の壮大な落胆で、今年の殺人竜の語りの幕は閉じた。
「食べますか?」
白い花と共に梨を持ってきた俺は、それを竜に差し出した。竜は花を花瓶に生け、梨はそっと俺に差し出して応えた。
「不要だ。食事など無くても生きていけるからな」
「梨は苦手ですか?」
「違う。何を口にしても、美味しいと思ったことが無い」
「人に化けてから食べると、美味しいかもしれませんよ?」
俺がそう言うと、竜は困ったように笑った。すると煙を立てて姿を消した。煙がはれて現れたのは、人間の女だった。
「これで、食べるのだな」
銀色の長い髪、赤い目、綺麗な顔。それらで目の前の女が竜だと分かった。が、俺は慌てて着物を差し出した。
女は裸だったのだ。
「その格好はまずいんで。これを着てください」
「ただの女の体ではないか。何か問題か?」
「大問題ですよ。特に俺みたいな青二才にはね。裸はだめです」
「そのようだな。お前の顔を赤くするのだな?」
「そういうことです」
俺は竜に着物を着せた。竜は大人しく着物を着ると、そこに座った。かなり猫背だが、まぁ人間になりきれている。
俺は竜に梨を一つ渡した。竜は皮ごとそれを一口食べると、両目を大きくして言った。
「悪くないな」
「気に入ったのならそう言ってくださいな」
「ありがとう」
梨を美味しそうに頬張る竜を見て、梨を食べたくなった俺は、それを一つ頬張った。
「俺の名前、聞かないんですね」
「名前を呼ぶと、お前をここに縛りつけてしまうだろうからな」
「俺はゴンウです。あんたは?」
竜は困ったように俺を見て答えた。
「名前など無い。殺人竜でも何でも、好きに呼べ」
名付けのセンスが壊滅的だと友に批難されたのを思い出した俺は、頭を掻いて言った。
「……今まで通り竜さんでいいですか?」
「好きにしろ」
竜は笑って言った。
「ねぇ、竜さん。人になれたらここから出られるのでは?」
「恐らくな」
「散歩しませんか? 花畑見つけたんです」
「そうか……行きたいな」
竜は遠くを見つめて言った。俺は嬉しくなって言った。
「明日、俺仕事休みなんです。だから明日い……」
「今からではだめか?」
竜がそっと俺を見上げて言った。彼女が俺に帰らないよう催促するのは初めてだった。
「構いませんよ。じゃあ、行きましょう」
俺は昼間に行こうと思っていた花畑とは別の花畑の場所に、竜を案内した。
「これは、草原と言うのではないのか?」
夕焼けに照らされたそこを見て、竜は困ったように言った。
「まぁ、ゆっくりしてましょう」
俺はその草原の中に入ろうとすると、奥から数人の男が来た。
「こんな所に居たとはなぁ、殺人竜」
「は? 何言ってんだよ、流しのおっさん」
「ゴンウ。悪いことは言わない、彼女から離れるんだ。殺されるぞ?」
「大丈夫だよ」
流しの男は、弓を引いて竜に矢を放った。矢は竜の腕にかすった。
「テメェ……俺の女に何しやがる」
「竜が恋人とは滑稽だ。良い話が出来そうだな」
男の後ろにいた二人の男が、棍棒で俺に殴りかかった。俺はそれをかわして男達を蹴飛ばすと、流しの男はまた竜に矢を放った。
「テメェ……」
「抵抗するからだ、ゴンウ。さぁ、大人しく罰を受けるのだ。殺人竜と共にいることを我らに隠していた罪への罰をね。さもないと彼女を殺すよ?」
「くそっ」
俺は大人しくそこに両ひざを付いた。すると流しの男は俺に近寄って笑って言った。
「それでいいのだよ、ゴンウ君」
男は俺の鳩尾を蹴った。そして流しの男が俺を殴る事に夢中になっている間に、俺は男から弓を奪った。そして弓の中央を折った。
「ヘヘッ……これで脅せないぜ?」
「クソガキがっ」
流しの男は右側の男から棍棒を奪うとそれで俺を殴り飛ばした。俺は竜の横で倒れた。
「おい、しっかりしろ……おい」
竜は心配そうに俺の肩を叩いた。俺は笑って言った。
「慣れないことはするもんじゃねぇですね」
そう笑った俺に、男が石を投げた。それを見た竜の顔が一瞬で恐ろしくなると、俺の顔に向かって放たれた石を片手で掴んで止め、竜は静かに立ち上がった。
「お前達……誰を敵に回しているのか分かっておるな?」
「は?」
「許さん」
すると竜は右手を前に出した。そこから放たれた風で男達は一瞬で吹き飛んだ。
「誓え……二度と彼を傷つけないとな。出来なければ、ここで死ね」
竜は男のすぐ後ろの大きな岩を殴った。岩は粉砕した。
「ちっ誓います誓います……ですから命だけは……」
「去れ。二度とこの地を踏むな」
「はいぃ」
男達は走り去った。
男達の後ろ姿が見えなくなるまで睨んでいた竜は、慌てて俺の元に駆けてきた。
「大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。これくらいは慣れ……」
竜が元の姿になった。そして彼女の尻尾が透けていた。
「何で?」
竜は俺の視線を追って自分の尻尾を見ると、そっと笑って答えた。
「逆鱗に触れられた時以外で激怒するのは、竜としてあるまじき行為だからな。それをしてしまったら、竜ではなくなるのだ」
「じゃあ、どうなるんですか?」
「消えるだけだ」
「そんな」
空が次第に暗くなった。
「案ずるな、お前のせいではない。それに私は、よかったと思っている」
「良かった?」
「お前と共にいられて楽しかった。愚かでも、さっき怒って奴らを追っ払うのは、逆鱗に触れた者を怒りに任せて殺す事よりマシだと思ったからな」
「そうですか」
俺は両目に溢れる涙を隠すため俯いた。そして俺は慌てて言った。
「あんたの逆鱗は首元だけじゃなかった。俺もそうだったって事でしょう。それなら、消えなくてもいいんじゃあ……」
「お前が私の逆鱗か……フフッ、面白いことを言うな」
彼女の体が次第に透けていった。俺はまた俯いた。誰が彼女にそんな呪いをかけたのかは知らないが、そいつがとても憎かった。
少しして、竜は驚いたように言った。
「花畑だな」
俺は竜を見上げた。竜は草原を見ていた。俺も彼女の視線を追って草原を見た。すると月明かりに照らされて、辺り一面の月夜花が咲いていた。
「綺麗だな」
竜は俺を見て笑った。俺は涙を拭って竜を見て笑った。
「あんたには敵わないけどな」
「惚れた女に言ってやれよ」
「あんたに惚れてるから言ってるんですけど……」
「生意気だな」
竜は恥ずかしそうに笑って言うと、花を見ながら言った。
「もう暗いから、ゆっくりしていけ」
「そうしますね」
俺は竜の体にもたれた。竜は俺に顔を近付けた。俺はそっと竜の頬から首元に触れた。
「フフッ、くすぐったい。首元に触れられるとくすぐったいものなのだな」
「逆鱗は?」
「もう効かないようだな。ほら、寝ろ。唯一の特技だろう?」
「意地悪だなぁ、竜さん」
「おやすみ、ゴンウ」
竜はそっと言った。俺は顔を上げて竜の顔を見た。竜は両目を閉じて、優しい子守唄を唄った。
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