焼き栗は思い出の味

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 昔、小さいころ。  怒られたり、嫌なことがあった時には必ず行く場所があった。  林を抜けて渓流を遡上し、山道を歩いてたどり着く秘密の場所。  ブルーシートと枝で作ったお粗末な秘密基地だ。  段ボールのテーブルと綿のほとんど入っていない座布団がおいてあるだけの空間。  それでも、そこは自分だけしか知らない特別な場所だった。  そう、僕だけが知っている秘密の部屋だ。  そのはずなのに……。 「こんにちわ。いい秘密基地だね」  その男の子は何の前触れもなく僕の領地に居座っていた。  置いていた漫画本を読んで、お菓子の袋を勝手に開けてくつろいでいた。 「ここ、僕が作ったんだけど……」  漫画本を勝手に読まれて、楽しみにしていたお菓子を食べられて……それでなくてもその日もテストの点数が悪かったことで怒られたせいで、八つ当たりのように言ったのは覚えている。  それが僕と彼とのファーストコンタクトだった。  彼はお菓子を食べ終わると漫画本を僕に返して「それじゃ」と林の中へ消えていった。  二度と来るな! とか怒鳴った記憶もある。  それから数日もしないうちにまた嫌なことがあって僕は秘密基地に急いだ。  すると、前と同じように男の子がいた。  漫画もお菓子も置いていなかったので、彼は退屈そうに座ってブルーシートの天井を眺めていた。 「あ、きたきた。遅いよ」 「なんでまたいるの? 遅いって、約束なんてした覚えないんだけど」  彼はにっと笑った。僕は勝手に秘密基地を占領された怒りでにらんでいた。 「まあまあ、そんな眉間にしわを寄せないでさ。勝手に入ったのは謝るよ。今回は前勝手に食べちゃったお菓子の代わりのものを用意したから、ここを使わせてくれないかい?」  手渡されたのは紙袋に包まれた何かだった。甘いいい匂いがするので開けてみると焼き栗がたくさん入っていた。  僕はまだ男の子を警戒しながら聞いた。 「使わせてくれって……何に使うの?」 「それ、食べてみて?」  僕は依然警戒しながらも、指さされた紙袋の中身、焼き栗に手を伸ばす。ほんのりあたたかなそれはカラがするっと剥けた。 「どうぞ?」  笑顔で勧められ、僕はここで食べないのもなんだか負けた気がするので、一口、思いっきりかじった。 「あ……うまい」  ほくほくの栗は焼き芋のように甘かった。 「そうでしょ? いくらでも食べていいよ。で、その代わりこの場所でお店を開かせてくれないかな?」  僕はもう一つ焼き栗に手を伸ばして言った。 「お前、何言ってんの? こんな森の中でお店を開くって……誰も来るわけないじゃん。まあ、やってみたら?」  馬鹿にして言ったのは覚えている。同時になんだかおもしろそうだと思ったのだ。  彼はにっと犬歯をむき出しにして笑った。 「ありがとう。契約成立だね」  どうせ人なんて来るわけない。  僕はそう高をくくっていた。  それから毎日、僕は嫌なことがなくても秘密基地に足を運ぶようになった。  店を開くと言った男の子を冷やかすために。 「いらっしゃいいらっしゃい! はい、焼き栗30個! 毎度あり!」 「…………」  僕の秘密基地、もとい彼の焼き栗屋は大盛況だった。こんな山奥なのに、なぜか行列ができている。  お客さんはみんな人……なんだけど。  何故かお尻に尻尾が生えていたり、耳がもふもふだったりしていた。 「そっか……人は来ないけど人じゃないのは来るのか……」  驚きを通り越して呆れていると、彼は僕に声をかけてきた。 「ごめん君。暇ならお店を手伝ってくれないかな? 人手が足りないんだ」 そう言う彼の背中にはやはり尻尾がちらちらと見えていた。  人じゃない客を相手にするんだから、お店側も人じゃない奴でも不思議ではない。  忙しくてつい出てしまったのだろうか……。  指摘してもよかったけれど、僕はなんとなくそれを見なかったことにして、腕まくりをする。 「いいけど、焼き栗いつもの倍もらうからな」 「もちろんさ! おまけにどんぐりもつけるよ!」 「いや、どんぐりはいらない……」  僕はもう気づいていた。こいつは悪い奴じゃない。  だから秘密基地を使わせることも焼き栗屋さんのお手伝いも苦に感じなかったのだろう。むしろ家にいるよりも全然楽しかった。  ある日、秘密基地に行くと彼が手ぶらで待っていた。 「あれ? 今日は焼き栗屋さんはいいのか?」 「うん。今日は臨時休業さ。それよりも君、今朝ポンポンと空に花火があがっていたけどあれは?」 「ああ、今日は町のお祭りの日なんだよ。屋台がでて楽しいんだ」 「屋台が……焼き栗屋さんも出るのかな?」 「え? ああ、まあお祭りだからね」 「そうかい! お祭りかあ、行ってみたいなぁ」  目をキラキラ輝かせた彼。人の多いところには行ったことがないのだろう。人じゃないし。  僕はそれならと提案した。 「じゃあ、一緒に行く?」 「いいのかい? うん! 今から行こう!」 「いや、今はまだ準備中だよ。夕方迎えに来るからここで待ってて」  そして夕方。僕は彼を迎えに行った。 「待ちくたびれたよ。さあ、行こう!」 「場所わからないだろ! 落ち着けよ」  案内するのは僕なのに、彼に手を引かれて僕たちは神社の縁日に向かった。  提灯の灯りと祭囃子、屋台からは良い匂いが充満し、人が所狭しとひしめき合う。 「焼き栗屋さんはどこかな?」 「うーん……あっ。あそこだ」  僕が指さすと彼は一目散に焼き栗屋さんに突撃した。案の定、お金はもっていないようなので、代わりに支払い焼き栗を受け取る。  神社の階段の空いているところに腰かけてさっそくかじった。 「……うーん」 「これは……」  僕たちはお互いに顔を見合わせて笑った。 「おいしくない」 「おいしくないね」  いつも彼が作ってくる焼き栗のほうがおいしい。 「でも、なんかおいしいね」 「そうだね、なんでだろうね、おいしくないのに……」  お祭りの相乗効果だったのだろう。  それから僕たちは夜空を見ながら焼き栗をかじった。  すっかり食べ終わると、また彼に手を引かれる。 「よし! まだいろいろあったし、他も食べてみたいな! いこう!」 「おい、僕のお小遣いはそんなにないんだからな!」  花火が上がった。  僕たちは縁日を遊びつくした。  たくさん笑って、くたくたになって帰った。 「うん、決めた。僕、将来焼き栗屋の屋台を出すよ。たくさんの人に食べてもらうんだ」  感情が高ぶったせいで尻尾が出てしまったのだろう。僕はやっぱり指摘しないで笑った。 「そうだな。お前の焼き栗おいしいもんな。きっと売れるよ。お前が屋台出したら買いに行くからな」 「うん、君が最初のお客さんだとうれしいね。ぜひ来てくれよ」  僕たちは指切りをして、それぞれの帰路についた。  それが僕と彼との最後の思い出になった。  あれから十数年。  彼とはあの後一度も会うことがなかった。大きくなるにつれ、僕は秘密基地に行かなくなった。  人前で尻尾をだして人前に出れなくなったのか、それとも何か別の事情があるのか  僕は大人になって、今では息子がいる。  今日は地元の縁日の日だった。  僕は息子を連れて帰省し、お祭りに足を運んだ。 「お父さん、何かさがしてるの?」 「ん? いや、なんでもないよ」  思い出の中の友達の面影を追いかけて焼き栗屋さんを探していたなどと、息子に言うのはなんだか照れ臭かった。  息子の手を引いてお祭りを進んでいく。祭囃子が遠い。  昔座った階段のそばを見つめていると、花火が上がった。 「きれいだねお父さん」 「そうだな……」  花火に気を取られていると、誰かとぶつかった。 「すみません!」 「いえ、こちらこそ」  顔はきつねのお面に隠れて見えなかった。  だけど、ぶつかってきた相手は紙袋を差し出してきた。 「あの、これ、お詫びです。ぜひ食べてみてください。何年も研究してやっとできたおいしい焼き栗なので……出店出すの遅れてるんで、これで失礼します!」  紙袋を押し付けられる。嗅いだことのある甘いおいしそうなにおいが香った。 「……え? ちょっと君!」  引き留めようとしたが、その人は行ってしまった。  後ろ姿に尻尾はなかったし、背も高かった。人じゃないものに成長があるのかは知らないが、きっと別人だろう。  僕は紙袋を開けた。中には焼き栗がたくさん入っていた。 「お父さんそれなに?」 「焼き栗だよ。食べてみるか?」  僕は息子にカラを向いた栗を渡す。 「……おいしくないね」  僕も一つかじってみる。 「そうだね、おいしくない」  思わず笑みがこぼれた。それはあの日の縁日で食べた味だった。  おいしくないのに誰かと一緒に食べるとおいしい不思議な焼き栗。 「お父さん、もうひとつちょうだい」 「おいしくないんじゃなかったのか?」 「……おいしくないけどなんかおいしい」  悔しそうな息子の表情に僕は思わず微笑み、頭をなでた。 「これはそういうものなんだよ」  僕はおいしくないけどおいしい不思議な焼き栗をもう一度かじった。  懐かしい思い出の味が口いっぱいに広がっていく。
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