1,5.恋する少女は地獄を見た

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 新たな家族が出来てほとぼりが落ち着いた頃になって、私は事の顛末を詳しく聞かされることになった。  まず、私を事あるごとに蔑んだ教師に重傷を負わせたのはやはり兄さんであった。昔から厄介ごとに巻き込まれがちでそれなりの修羅を潜り抜けている兄さんは、居酒屋から出て酔っ払った教師が裏路地に入った瞬間を狙って奇襲。一瞬で大怪我を負わせて離脱したらしい。夜の暗い裏路地であった事が功を奏して犯人はバレないと言っていた。  そして義父さんと義母さんは兄さんからの話を受けて行動を開始。私と兄さんが出会った翌日にはおばあちゃんと面会し、私が養子になる話を纏めて書類まで提出し終えたそうだ。  決断からの行動が早すぎて唖然とし、そして無茶を買って出た兄さんの胸を何度もポカポカ殴った。 「手荒事は慣れてるんだけどな……」なんて言った兄さんを小学生ながら叱り飛ばしたのは鮮明に記憶に残っている。  兄さんは、私とは違った形で酷い扱いを小学校で受けていた。その状況を何とかして打開するために喧嘩空手を独学で学び、イジメの原因となった主犯格やその取り巻き。果ての先には傍観者も殴って、殴って、殴り続けて。彼が気がついた時には、アウトローの世界に足を踏み入れかけていた。  それを拒み、一般社会で生きることを選択した兄さん。しかし現実はそう甘くなく、兄さんは裏世界でちょっとした有名人になってしまった。  “鉄の拳と刃の脚を持った少年”なんて噂され、裏世界の人間からの襲撃が絶えなかった兄さんは必然的に手荒事に慣れてしまった。  しかし、兄さん本来の性格は争いを好まない平和主義者だ。人を殴る感触が嫌いで、しばらく眠れない日もあったと聞かされた私は思わず頭を下げた。 「嫌な事をさせちゃって、ごめんなさい……」  しかし、カラッとした笑みを浮かべた兄さんはあっけらかんと私の心に掛かった雲を払ってしまった。 「人助けは別だよ。誰かのために戦うってのは案外良いもんさ。だからそんなに気にしないでくれ」  心が救われたと共に、私はもっと兄さんを好きになった。  かなり歪な形で始まった私の養子生活だが、これまでの鬱屈とした生活とは真逆の日々を送る事が出来るようになった。義父さんも義母さんも優しくて、何より大好きな兄さんが側に立ってくれて。幸せだった。  しかし、私が兄さんに対する想いがどんな物なのかを自覚したのは、兄さんに最愛の恋人が出来てからだった。  兄さんの恋人のアキさんは非の打ち所がない人だった。皮肉でも何でもない、ただの事実だ。私の事情を知ったアキさんはかなり可愛がられたと思う。だから嫉妬という感情は殆ど生まれず、姉さんでも出来たかのような感覚でとても楽しかった。  もちろん兄さんに対する気持ちが消えた訳ではない。むしろ、以前よりも強さが増していた。アキさん以外と恋人関係に兄さんがなっていたら、私は嫉妬に狂っておかしくなっていたかもしれない。  悶々とした気分を早期に晴らしてしまうためにも、私は兄さんに「愛してるんだよ」と伝える事にしたのは中学生に上がってからである。気持ちに整理を付けることで、その後の生活に支障が出ないようにしたかった。  ちゃんとした言葉で伝えるために何回も思考し、遂にはアキさんにカミングアウトした上で一緒に考えてもらうことになった。  私の想いを知った時のアキさんの反応は中々の物だったが、すぐに彼女は我を取り戻して「ごめんね」と言ってくれた。アキさんがあまりにも悲しそうな顔をしていたので私が慌ててしまう始末である。兄さんとアキさんの関係は心から応援していたので、アキさんがそんなに謝る必要は本来ならなかった。  そんな事もあったが、アキさんの助力もあって私の想いはかなり整理が付き、兄さんにどうやって伝えるかも目処が立ってきた。あの日、アキさんから「最後に必要なのは勇気だよ!」という内容のメールを昼頃に受け取った私はすこぶる明るい気分で帰宅した。  帰宅してまず感じたのは、兄さんから発される異様な雰囲気であった。重い。ただひたすらに重たい。息苦しくて窒息してしまいそうだった。 「大丈夫だよ。大丈夫」  だが、その事を問い詰めても兄さんから返ってくるのは釈然としない回答ばかり。夕食を食べて風呂に入っても兄さんの雰囲気は変わらず、私は一抹の不安を抱きながらも1度はベッドに寝転がった。  しかし、どうしてか眠れない。日付けが変わる頃になっても一向に眠くならず、私はベッドから出て寝室を出ようとした。その時であった。  私は言い様のない不安に襲われたのである。何がどう不安なのかは分からないが、心が落ち着かない。気持ち悪さすら覚えて頭を抱えた私は、ふと静かすぎる寝室に違和感を感じた。そして兄さんが寝ているはずのベッドを見つめて、青褪めた。 兄さんはそこに居なかった。  急いで身支度を整えて外に飛び出すと、息が切れるのもお構いなしに辺りを走って兄さんを探す。商店街。大通り。裏路地。思いついた場所をしらみ潰しに駆け回る。  それでも見つからず、いよいよ最悪の事態がよぎり始めたところで、私の目の前に公園が現れた。探していない場所はもうこの公園だけであった。それなりに公園の敷地は広いが、兄さんが居なくなってしまう気がして私の足は止まる事を知らずに動き続ける。  やがて、私は多数の大木が鬱蒼と生えている敷地までやって来た。自身の勘を信じて走り、走り、走って。何かが蹴倒された音を聞いた私はその音がしたであろう方向へ走って。やっと、兄さんらしき人影を見つけた。 「兄さん! 兄さん、何やってる……んだ、よ?」  脚立を蹴り飛ばし、首には縄をかけて大木からぶら下がる。そんな兄さんを見つけた。 「に、いさん。は、そうだ。こんなボケっとしていられない……!」  少しの間だけ硬直したが、すぐに私は脚立を使って兄さんの身体を支えて縄を解き、着ていた薄い上着を敷いてから地面に寝かせる。  発見が非常に早かったからなのか、最初は苦しんで咳き込んでいた兄さんの呼吸はやがて落ち着き、規則正しい寝息だけが発されるようになった。大事は回避する事が出来たらしいと分かり、私は盛大に息を吐く。  兄さんの首元にクッキリと残る痛々しい縄の跡。そして発見時の状況。兄さんが何をしようとしていたのかは明白だ。それが分かってから、あと一歩遅かったら兄さんは死んでいたかもしれないと考えてブルリと体を震わせた。  タイミング良くやって来た義父さんに事情を説明し、彼を家まで背負ってもらうことにした私に、誰かの声が聞こえた……気がした。 『先輩を守って。お願い……!』
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