1.死ねない男

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1.死ねない男

 ボキッ! ドサッ…… 「ああ、くそ。またダメだったのか……」  枝が折れ、首にかけていた縄が解ける。たった今、自殺をしてこの世からサヨナラをしようとしていた俺は地面に尻餅をついた。これで何回目だろうか。つい数分前にも同じように首を吊ろうとして太い枝を選んだのだが、その枝が無情にもボキリと折れて失敗した。  こうして惨めにも尻餅をついたのは99回目。枝が折れる音も、縄が解ける感覚も、尾骶骨を打つ痛みも。もう慣れてしまった。 「何でだよ。何で、死ねないんだ……」  俺は死にたかった。早くこの世から消えたかった。だから、こうして首を吊ろうとしている。だが、何故か死ねない。どんなに太い枝を選んでも折れてしまう。縄をキツく結んでも解けてしまう。高所から飛び降りたり、喉笛を掻っ切ればすぐにでも逝けたかもしれない。しかし、そうすればより多くの人に迷惑がかかる。だからこうして目立たない場所でひっそり死のうとしているのだが……。 「くそっ」  力なく地面を叩く。神様が見ているなら質問したいところだ。どうして、こんなにも死にたいのに死ねないのか。神様は俺を見捨てたのか、と。 ……いや、元から神様は信じていないのでこんなことを考えるのは時間の無駄であった。神様は居ないのだ。全知全能の神様が存在しているのなら、世界中の戦争は綺麗さっぱり消えてしまうだろうし、俺がこうして死ぬことに躍起にもならないだろう。  つい数時間前まで。少なくとも今日の昼頃まで、俺はそれなりに幸せに生きていた。温かく見守る両親が居て。笑うと可愛い義理の妹が居て。バカをやり合える友人が居て。心から愛した恋人が居て。将来に対して希望を持っていたし、間違いなくこうして自殺未遂をしようと思える生活ではなかったと言える。しかし、現実はどうだ。俺は自殺しようと必死になっている。  その幸せが一瞬にして。たった1つの言葉で。粉々に壊された。俺は生きる意味を、そして生き甲斐を僅か数分で失った。 「アキ、何でだよ。俺は……どうして死ねない?」  既にこの世には存在しない、俺のたった1人の恋人に投げかける。しかし、返ってくるのは静寂だけ。  俺には“アキ”と言う恋人が居た。誰の目に入れても恥ずかしくない、素晴らしい恋人が。互いに深く愛し合い、将来は結婚も考えていた。そんな恋人。  彼女は俺の作ったお菓子が好きだった。俺が彼女と恋人関係になれたのも、彼女が俺のお菓子を好いてくれたからだった。お菓子を口にして、破顔する恋人を見ることこそが俺の生きる意味であり、また生き甲斐であった。  その恋人は、もう死んだ。ついさっき。前方不注意のトラックに轢かれて。サヨナラの言葉を交わすこともなく。彼女は即死した。前日に「また明日」と交わしたのが最後に見たアキの姿であった。    翌日になり、唐突に学校へ呼び出された俺は、そこでアキの死を知らされた。俺と彼女の関係を知る担任の教師から、まずはアキが事故に遭ったと端的に伝えられた。そしてその後に、涙ぐみながら「即死した」とも。  受け入れられなかった。当たり前だ。前日までは元気に生きていたのだから。この腕で優しく抱き締めたのだから。少し恥ずかしく思いながらも、砂糖を周りが吐くような言葉を交わしたのだから。はい、そうですかと簡単に言えるわけがない。 「ウソだ」と気がつけば叫んでいた。そして、「冗談も大概にしろ」と教師に詰め寄った。しかし、そうやって現実から目を逸らしても結果は変わらない。教師は壊れたオモチャのように、何回も「死んだんだ」と言ってきた。  どうやって家に帰ったのか。それを俺は覚えていない。だが、トドメの一撃のようにアキの両親から電話があり、本当に彼女が死んだことを思い知らされて、失意のままホームセンターに立ち寄ったのは辛うじて記憶がある。  涙が出なかった御蔭か、俺は両親や義妹に心配されることなくその日の夜を迎えた。皆の目を盗んだ俺は、黙って家を出た。そうして向かった先は、俺がこうして自殺しようとしている公園だ。この公園はそれなりに規模が大きく、至る所に大木が葉を生い茂らせている。故に死角も多い。すぐに発見されて一命を取り留める、なんてマヌケは犯したくなかった俺は、この公園を死に場所に選んだ。  迷いはなかった。偶然にも転がっていた脚立を使い、枝に縄をキツく結ぶことも、自身の首に縄を通すことも。そして、全ての準備を終えたら脚立を蹴り倒すことも。  首吊りと言うのは便利なもので、自殺を開始してから30秒もあれば脳に酸素が行き届かなくなって意識が飛ぶ。そのまま1時間ほど見つからなければ、そのまま地獄へ向かうことが出来る。道具さえあれば誰にでも簡単に実施が可能で、しかも死ねる確率が高い方法なのだ。首吊りと言うのは。アレンジを加えて頸椎を粉砕し、確実に殺せる絞首刑を選択する司法にも納得がいく。  だが、ここで想定外のことが起きた。意識を失う前に枝が折れてしまったのである。しかもキツく結んだはずの縄も簡単に解けてしまった。俺はマヌケにも尻餅をついて尾骶骨を痛めた。  今度こそと思い、間違いなく折れないと信じた枝を見つけ出した俺はキツく縄を結んで再挑戦した。しかし、結果は変わらなかった。また枝が折れ、縄は解けたのである。  そこから俺は躍起になって首を吊ろうとした。何回かは発見のリスクを顧みずに階段の手すりを使ったし、結び方も工夫して解けにくくした。早めに意識を落とすためにリュックに砂を入れて背負ってみたり、勢いをつけて絞首刑をのような形を試したりもした。  それでも俺は死ねず、今こうして地面に這いつくばっている。 「答えてくれよ、なあ。俺は……」  あと何回チャレンジすれば良いんだ? そう言おうとして、辞めた。時計を確認すると午前3時を示している。もうすぐ夜が明けてしまう。発見されやすくなり、警察に通報されて取り押さえられてしまうかもしれない。季節は夏なので、時間的にあと1回が良いところだろう。何度も尾骶骨を打って、もうそろそろ精神も限界だ。  立ち上がって枝を選ぶ。痛む尻に顔を顰めながら少し歩くと、一際太い枝を伸ばす木を見つけた。俺は戸惑うことなく脚立を開き、何回も結び直してもう解けないと信じている縄を結び、そして自身の首にそれを通した。 「今度こそ……」  脚立を蹴倒すようにして飛び上がる。出来るだけ真上に。絞首刑に近い衝撃を頸椎に与えるように。カランと倒れた脚立を確認すれば、あとは落下するだけだ。多少はついた勢いが、完全とまではいかなくても頸椎にダメージを与えてくれるはず。 「ぐが、はっ」  落下が終われば、次にやってくるのは息苦しさである。こればかりは何度やっても慣れない。苦しい物はやはり苦しい。  徐々に意識が落ちていく。視界が狭まっていき、グワングワンと耳鳴りが俺を襲う。手足の指先が痺れ始めて、ここで俺は漸く死ねるのではないか? と思い始めた。さっきまではこの時点で地面に落ちていた。今回はそれがない。やっと死ねると思うと、少しだけ嬉しい。  楽しかった思い出が次々と思い浮かんでは消えていく。これは走馬灯だろうか。思い出の大半に恋人が存在することに俺は心の中で苦笑を浮かべると、そのまま目を閉じた。  全身の力が抜けていく。もう目を覚ますことはないだろう。そう願って俺は意識を手放した。
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