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幻覚。そして幻聴。それらの可能性があるという考えは遙か彼方へ放り捨てた。仮に幻覚幻聴であったとしても、この際どうでも良かったのだが。
アキが居る。間違いない。居るんだ。
「本当に、本当にアキなんだな?」
『やっと認識してもらえた……ふええっ』
「お、おい待て。頼むから泣かないでくれ」
わちゃわちゃとしたやり取りも、もう2度と出来ないと思っていただけに楽しさを感じる。
涙に濡れた瞳で俺を見上げる最愛の人は、漸く俺の知る素敵な笑顔を浮かべてくれた。やっと泣き止んでくれたので安堵しつつ、俺は彼女の笑みに見惚れていた。
肩に掛かるかどうかぐらいの髪を撫で回す。感触はかつてと変わらない。ひんやりしている以外は変わらない。
『死んじゃったけど、こうしてまた会えましたね。バカな先輩?』
「え、おい。酷くないか?」
『大変でしたよ。本気になったら人間って何でも出来ちゃうみたいですけどね。それでも木の枝を折るのは骨が折れますし、縄を解くのも面倒ですからね? しかもそれを99回。もう疲れましたよ。最後はフユカちゃんが居なかったらダメでしたし……』
「お、おう。なんかゴメン」
俺が自殺を完遂できなかった理由。それは彼女にあったらしい。聞けば、アキは死んでからずっと俺の隣に居たらしい。ただし、幽霊の状態で。それに気がつかず、自殺をしようと躍起になった俺を死なせまいと、彼女は行動していたとのことだ。
流石に最後は力尽きて諦めかけたらしいが、タイミング良くフユカが俺を発見したことで何とかなったようだ。また、飛び降り自殺の件に関しては完全にラッキーらしい。なんと悪運の強いことだろうか。
『確かにあんな約束はしましたけどね。あれは私からしたら、病気でどうしようもなかったら有効にしようと思ってたんですよ?』
「そうなのか……」
『先輩は呼吸不全。私は心臓病を患っていて、お互いにいつ死んでもおかしくないからあの約束を承諾したんです。寿命なら仕方ないですから。でも、まさか事故死で先輩まで後を追うなんて思っても見なかったです』
俺はとある事情から呼吸不全を患っている。そして、アキは心臓病を患っていた。いつまで保つか分からない命を抱えていた、似た者同士であったのである。
『もうバカな真似はしないでくださいね? フユカちゃんも、先輩の御両親も悲しみますから』
「分かったよ。ただ、君が居ない世界で生き甲斐や生きる意味を見つけられる気がしないんだけどな」
アキは俺の全てと言っても過言ではなかった。その彼女を失った今、どうやって生きる意味を見出せば良いのか分からない。
フユカのため? 両親のため? 友人のため? それとも、俺自身のために生きる? どれも違う。俺からしたら小さすぎるのだ。生きる意味として設定するには、あまりにも小さい。
しかし、そんな俺の心配をぶった斬るかの如く、アキはサラリと回答を示してくれた。
『なら、私からのお願いです。私が生きるはずだった数年と、貴方が本来生きるべき数十年。絶対に生きてください。そうしてくれないと、私は安心してあの世に行けないですから』
「……これはまた、大変なお願いだな」
『死者の魂があの世に旅立つまで49日。その間は先輩の隣に居ます。その日までに、私への執着を断ち切ってください』
アキへの執着。――彼女は遠慮した表現をしているだけで、実際は呪縛とも言えるかもしれない――それを断ち切ってくれと彼女は告げた。
随分と簡単に言ってくれる。それが途轍もなく難しいものであるのは彼女だって分かっているはずなのだが……。
『出来ますよね?』
全面的に俺を信じると言った顔をされては、俺も絶対に無理だとは言えない。彼女の前では無力なのだ。
アキは少し目元を下げると、俺の両頬を掌で優しく包み込んだ。
『大丈夫です。先輩が誰よりも強い人なのは私が1番知ってますから』
俺は強くない。弱い人間だ。そう言おうとしたが、その言葉はアキのたおやかな指によって抑えられ、口にすることを許されない。
敵わないなあ。そう心中で零す。同じ内容の願いを他の人から伝えられても受け入れはしなかっただろうが、アキが言うだけで何としてでも叶えてやりたいと思ってしまう。
誰よりも俺のことを理解してくれるアキだから、受け入れ難いはずのお願いも心の奥底まで響くのだろう。愛というのは恐ろしい。
「……確約は出来ないぞ」
『分かってますよ。これから行動するのは私じゃないですから、何があってもおかしくないです。それでも、ですよ』
ああ、やっぱり彼女は素晴らしい。死して尚、俺を見守ってくれている。これから様々な出会いがあるだろうが、きっとこの感情だけは変わらない。これは特別な感情だ。
“アキを愛している”
動きも変わりもしない感情だ。どんなに魅力的な女性に出会い、恋をしたとしても。俺はアキのことをどこかで愛しているだろう。
「アキ、これだけは言わせてくれ。君と話せているこの状況が俺には夢みたいだ。幻でも見てるんじゃないかと思ってるよ。この状況は全て夢幻で、俺はただ実態のない何かに踊らされてるだけなんじゃないかって。もう俺の心は壊れてしまったんだって、絶対にどこかで思ってる」
それでも良い。俺はそれで良い。
「君が幽霊だって確証できる何かはない。俺が正常である証拠もない。だけど、俺は君が俺の愛したアキであることを信じるよ」
数少ない、俺が心から愛した人だという人物の言葉であるならば。もう迷う必要もないだろう。
「だから、俺は幾らでも君の願いを聞こう。アキのためなら何でも出来る」
踊ってやろうではないか。夢幻であっても。俺は踊ろう。アキのために。
「その時が来るまで、よろしくな」
俺の言葉に、アキは優しく頷き返してくれた。
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