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翌日になり、松葉杖を渡されて退院した俺は父さんの運転する車で家に向かった。
車内の空気は重たかった。当たり前だ。あんな事を言って家を飛び出したのだから。それに、これから向かう場所が場所なので仕方がない。
現在、俺たちが向かっているのは葬儀場だ。俺が怪我したこともあって、通夜や告別式には出席しないで最後の出棺に間に合うように到着するらしい。
「最後の別れだけでも済ませなさい」
車に乗り込んだ俺に、父さんが唯一話した言葉である。母さんもフユカも、何も話さずに黙っていた。話しかけにくいのだろう。あんな物言いをした俺を初めて見たのだろうから。かける言葉が見つからない、という方が正しいかもしれない。
葬儀場に到着した。杖を使い、少し遅れて棺の前に辿り着く。既に数人が花を添えている。アキの家族はもちろんのこと、彼女の友人や部活の同僚も見受けられる。涙を流す者、俯く者。様々な表情の人間が居た。
花を持って棺の前に立つ。棺の中には、まるで睡眠をしているかのようなアキが居た。穏やかな表情である。肩を叩いてやったら目を覚ましそうだ。現実味がまるでない。
花を彼女の顔の近くに添え、軽く頬に触れた。ゾクリ、と背筋が凍ってしまうほどに冷たい彼女の体温。本当に逝ってしまったのだと非情にも告げてくる。
つい先日、幽霊となったアキ触れた時と似たような感覚だったのが俺をなんとも言えない気分にさせる。しかも、彼女の霊は俺の隣でフワフワと浮きながら遺体を眺めている。複雑でしかない。
棺が閉じられ、釘が打たれた棺を眺めていると、俺の隣に誰かがやって来た。横目で見やると、それは部活の後輩であった。
俺とアキが所属していた部活はトランポリン部だ。その後輩。アキとは同年代なので、友人という立場だと思われる。俺は部活のエースで、アキは次期エースの候補であった。つい最近、インターハイが終わったところだ。この後輩は、アキや他の部員と団体を組んでいた人間だ。結果は上々で、アキの次期エースも話が進められそうになった所で、当の本人は死亡した。
「先輩、大丈夫ですか?」
「何がだよ。体なら……まあ、骨折だけで済んでるが」
「そうじゃないですよ。心の話です」
「別に問題ない」
棺が霊柩車に乗せられるのを見ながらの受け答え。素っ気なくなってしまうのは勘弁してほしい。実際に問題はないとは言えないが、受け答えをするのが何だか面倒で、俺はそれ以上何も言わずにその場を離れようとした。
これから火葬場へ向かう。怪我をしている俺は早めに移動したかったのだが……後輩に服を掴まれた。
「火葬が終わってからで良いです。お話をさせてください」
逃げられそうにない迫力を出す後輩。名前は確か……ミアだ。海に愛と書いてミア。最初は驚いたもんだ。
「分かった。電話でもしよう」
雑に答えると、俺は今度こそその場を離れた。俺が車に辿り着いたのと、家族がやって来たのはほぼ同時。あっという間に車に乗り込み、父さんが運転する車は出発した。
相変わらずの重たい空気。もはや俺は気にしてなかったが、母さんとフユカの表情が歪んでいる。苦しいのだろう。申し訳ないとは思うが、俺も話しにくいのでどうにも出来ない。
「気持ちの整理は出来たのか?」
そんな中でも話しかけてくれた父さんに感謝だ。
「多少は。もう自殺しようとは思わないところまで整理した」
「そうか」
それだけが聞きたかったと言いたげな父さん。母さんとフユカの表情筋も少しだけ弛んだように見える。
言いたいことは山ほどあるのだろう。しかし、まだ言葉に纏めきれていないのかもしれない。親として言うべきこともあるし、個人として言いたいこともあるに違いない。
「アキちゃんの御家族にも挨拶しておくんだぞ。ハルキのことを心配してたから、顔だけでも見せておけ」
「ああ、分かってる」
「……まあ、死にたくなる気持ちもあるだろう。人間だからな。ただ、ハルキが死ぬことでどれだけの人に影響が出るのか。そこだけは考えてくれ」
それだけ言うと、父さんは口を閉じた。火葬場までもうすぐである。これ以上の話はまた後にしようと思ったのだろう。
火葬場に到着し、炉前での納めの式を執り行い、それが済めばいよいよ火葬だ。炉の中に運ばれた棺を見送り、俺たちは控え室へ通される。
控え室にはアキの両親と、祖父母らしき人物も居た。あとは俺たち一家だけである。
「ハルキくん。随分と久しぶりだね」
「アキのお父さん、お久しぶりです。こんな状態で申し訳ないです」
「良いんだ。それだけ娘を愛してくれたってことだからね。不謹慎だけど、父親としては嬉しいよ」
それから、俺は色んな話をさせられた。アキとの出会いや一緒に過ごした日々。出かけた先でのアキの何気ない様子。両親も知らなかったアキの本音。
知ってることは全部話した。1度話し始めたら速いもので、気がつけば1時間弱が経過していた。
「すみません、長々と」
「むしろ礼を言わせてくれ。自分の知らない娘を知ることが出来たんだ。ありがとう、ハルキくん」
その言葉を聞いて、俺はほんの少しだけ涙を流した。もう枯れ果てたと思っていたが、まだ流す涙は残っていたらしい。
「アキは不幸だったんだ。誰も悪くない。だから、ハルキくんもそんなに気負わないでくれ」
アキのお父さんの言葉は、荒んだ俺の心を優しく包んでくれる物だった。アキにある程度救われたが、完全には戻っていなかった俺の心は、やっと現実を受け入れて復活してくれた。
火葬が終わり、彼女の遺体が骨に変わるまでの時間。最後まで控え室に残った俺は、最後にもう1度だけ泣いてから部屋を出た。
もう泣けない。涙を流せない。1番泣きたいのはアキの家族だ。俺じゃない。
遺骨となって出てきたアキの近くに立つ。涙を流しながら納骨を始めるアキの家族を見守る。
もう2度と話すことの出来ない悲しみに明け暮れて泣き喚くアキに背中を貸して存分に泣かせてやる。
たくさん泣いてくれ。俺はもう泣き終わった。次は貴方たちの番だ。どうか、気が済むまで泣いてほしい。
何もかもが終わるまでの間、俺は静かに成り行きを見守った。
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