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1,5.恋する少女は地獄を見た
兄妹愛、と言うのは厄介な物だ。成就させるのには色々と試練が多すぎるし、その試練1つだけでも攻略は困難である。解決策を見出すことが出来たら拍手喝采だろう。
しかし、想いと言うのはそう簡単に止められない。手酷い扱いを受けるか、醜い内面を直視でもしない限り想いは高まっていく。
それはハルキ兄さんの義妹である私も同じだった。
義理の妹と呼ぶように、私と兄さんは血の繋がらない兄妹だ。元は赤の他人である。
私が兄さんを好きになったのはある意味必然だったのかもしれない。何故なら、出会い方がその辺の三文小説よりドラマチックだったのだから。
兄さんと出会ったのは私が小学4年生の時だった。
物心がつく前に実の親や祖父母は既に他界しており、身寄りのない私は近所のおばあちゃんの家に住んでいた。片親すら存在しない生活は寂しかったが、おばあちゃんは不自由なく私を育ててくれた。
保育園に居た頃はそうでもなかったのだが、小学生になってからの学校生活は地獄その物と言っても全く差し支えなかった。
小学生、特に低学年と言うのは父親や母親と何かする行事が多い。しかし私にその両親は存在しない。だからいつもやって来るのはおばあちゃんだった。何回も続けば、幾ら幼い小学生であっても察しが付くだろう。私に両親が居ないことを。
バレてからのクラスメートの豹変ぶりは凄まじかった。親について作文を書けと言われた時には囃し立てられ、それでも頑張って書くと作文用紙をビリビリに破かれる。親が居ないと言う訳の分からない理由だけで弁当をゴミ箱に捨てられたこともある。
これだけされても担任の教師は何の行動もとらなかった。むしろ、その光景を見て楽しんでいる節があった。教師自らが私を罵倒することもあった。
「親なしだから」
魔法の合言葉のように唱えられたこの文は、やがてストレス発散という目的のために使われるようになった。
私のことを除け者にした根底の理由は、おそらく「自身と異なる何かを排除したい」という人間の本質から行われた物だろうが、気がつけばそんな大義名分は失われ、ただストレスを発散するという掃き溜めのような理由だけが残された。
「親なしだからお前は近寄るな」
「親なしは貧乏だから臭い」
「親なしを好きにはなれない」
「躾ける親が居ない子供は性格が悪く粗暴だ」
「親が居ないのだから、早く死んで会いに行け」
不思議なことに、私は酷い表現の言葉を投げかけられて、怒りを感じて憤慨しても泣くことはなかった。遂には言葉で反応しなくなった。
それが面白くなかったのか、クラスメートは実力行使に出る者が急増した。それもそうだろう。私に対する数々の仕打ちはストレス発散なのだから、望むような反応を返さないと意味がない。
私物を壊される程度では序の口ですらなかった。顔面を避けられた上で唐突に手酷く蹴る殴るで漸く序の口である。
階段から勢いよく蹴り落とされたこともあるし、車道に突き出されて全治数ヶ月の大怪我を負ったり、鉛筆や彫刻刀で何度も脇腹を突き刺されたこともある。純潔だって失った。まあ、言葉にはとても出来ない地獄のような日々だったと言えば大体表現しきれるだろうか。
兄さんと出会ったのは、下校後に純潔を失ったショックと脱水症状から呆然と公園のベンチに座っていた時であった。
「よお。そんな所でボサッとして、何を考えてるんだ?」
当たり障りのない声掛け。それが初めて聞いた兄さんの声だ。俯いていた私を覗き込むようにして屈んだ兄さんの姿は、夕陽に照らされてどこか神秘的に見えたのを覚えている。
私はそんな彼を見て、思わず言ってしまった。確か、「辛いから何も考えてない」と告げた。すると、兄さんは「ふーん」とそつなく返して自身が背負っていたリュックのファスナーを開けると、中からゼリー状になった経口補水液を取り出した。そして、私の隣に腰掛けながらゼリーをこちらに向かって差し出した。
「飲みなよ。顔、真っ青だぞ」
後から聞いた話だが、兄さんは私が飲まず食わずなのを一発で見抜いたらしい。確かに学校では何も口にしてなかったので、毎日脱水気味であった。あの日は特に脱水の症状が酷かったので今となっては感謝だ。
私は何気ない兄さんの“普通の優しさ”に触れて涙を流した。嗚咽を零す私を見た兄さんは何も言わず、ただ頭を撫でてくれた。久方ぶりに感じた人の温もりが心地よくて、私は気がつけば兄さんの胸の中で泣いていた。
兄さんに吐き出した。辛いと。悲しいと。悔しいと。何故なんだと。
「親が居ないだけで何で殴られるんだ」
「親が居ないだけで不潔だと蔑まれるんだ」
「どうして私がこんな目に遭わなければいけないんだ」
長年押し込めていた本音が止まらず、しかも言葉足らずで自分でも何を言っているのかよく分からなかった。ただ、それでも兄さんは黙って私の本音を聞いてくれた。否定もせず、意見も言わず。壁となってくれた。
叫ぶようにして捲し立て、酸素が足りなくなって口を閉じたところで、兄さんは絶対に忘れることのない微笑を浮かべながら静かに問うた。
「変わりたいか?」
当たり前だ。そう意志を持って頷くと、兄さんは笑みを深くしてもう1度クシャリと頭を撫でると、何かを決意したような顔で言ってくれた。
「手伝うよ。こうやって知り合えたのも何かの縁だからな」
私は引っ込んだはずの涙をまた流した。根拠も理由もなかったが、何となく察したのである。この人なら絶対に私を助けてくれると。
それからの展開は本当にあっという間で、夢でも見ているかのようだった。3日もしないうちにクラスメートの全員が何かに怯えるようになった。中には学校を休む者まで居た。クラスメートは口々にこう言っていた。
「悪魔に襲われた」
加害者に回っていた教師はもっと悲惨な状態になった。朝の学活にやって来ない教師の代わりに教壇に立った他クラスの教師から、顔面の陥没骨折と脊椎の損傷を負って急遽教職を辞めたと聞いた。噂では、そのまま精神も病んだらしい。
そして私は1時間目の授業が始まって間もなく校長室に呼び出された。校長室には私と同居しているおばあちゃんと校長先生。そして義父さんが座っていた。目を白黒させている私に対し、義父さんは簡潔かつ手短に言う。
「君はこれから自分たちの養子だよ」と。
訳が分からず唖然としている私は放置され、義父さんは校長やおばあちゃんにその後の説明をしていた。突然の出来事に脳の情報処理が間に合わず、フラリと腰が抜けて尻餅をつく寸前に、私の体は誰かの手によって支えられた。
後ろから支えてくれる人物の顔を見る。そこには……。
「安心しろ。もうお前を泣かせはしないからな」
兄さんが居た。あの夕陽の中で見た笑顔を変わらず浮かべた兄さんが、私の体を支えていた。
ドクンッ
人生で初めて胸が熱くなる瞬間だった。有り体に言うならば、私は落ちたのだった。
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