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家に戻ってベッドに寝かせた兄さんの頭を撫でながら呼びかけると、やがて目を覚ました兄さんの瞳には憤怒と絶望が浮かんでいた。
「なんで助けたんだ、フユカ。あのまま死なせてくれなかったのはなんでだ? 余計なことをしたのはどうしてだ?」
こんな兄さんは見たことなかった。恐ろしいと感じると同時に、何故だか悲しいとも感じる。それは兄さんの姿が関係しているのか、それとも語気の問題なのか。私には分からない。
生きるのも死ぬのも当人の勝手。だから放っておいてくれ。そう喚く兄さんに対して私も怒りが募っていく。私の兄さんに対する想いが全て無意味だとどこかで否定されたような気がして、生まれて初めて心から腹が立った。
「生きる意味も、希望も、生き甲斐も、俺は全部失ったんだ! これ以上生きる意味も見出せないんだよ! それとも、お前なら出来るのか? 大切な人を失っても普通に生きられるって言うのか? お互いが壊れるぐらいに愛した人が唐突に死んで、それでも生きられるのかよ!」
愛した人。唐突に死んだ。そのフレーズを耳にして、思考が一時的にストップする。兄さんにとっての愛した人と言うのはアキさんぐらいしか居ない。それが唐突に死んだと吐き捨てられて、唖然としない方がどうかしてる。
アキさんが死んだ。とても信じられなくて、私は兄さんにそれは本当なのかと尋ねた。悪い夢でも見ているのではないかとすら思った。だが、悪夢であってほしいと思った結果が全て現実であり、兄さんほどではないにしても、私も絶望感と虚無感を覚えた。
しかし失ったからと言って、それが死んで良いという理由にはなり得ない。先立った故人の分まで生きると言う使命を果たすのが当たり前だ。私だって意識こそ薄いが、これまでそうして来た。兄さんだって……。
そう思い、兄さんを引き止めようとした。しかし、「約束したんだよ。死ぬ時は一緒だって。後を追うってな」と告げられて絶句してしまう。
あのアキさんが。生きる事が心底楽しいように見えていたアキさんが。兄さんとこんな、呪縛にも似た約束を交わしていたなんて。アキさんが死んだと伝えられた時よりも動揺し、私は何も言えなくなってしまった。
「俺が死にたいのは約束を守るためでもある。だけどな、それ以上に、もう……」
分かるだろ? 分かってるだろ? そんな表情を浮かべた兄さんを見て、私は視界がチカチカしてきた。
頭の中が熱い。胸を掻き毟りそうなぐらいに息苦しい。もう何も考えられなかった。フラフラと立ち上がり、そのまま寝室を出ようとする兄さんを横目で追ったところで、私の理性という糸はブツリと切れた。
――そこから先のことは覚えていない。気がつけば、兄さんは私の左頬のギリギリの所に拳を打ち込んでいた。壁が陥没し、蜘蛛の巣のようにヒビが入ったのとほぼ同時に私の腰は抜け、床にへたり込んだ。
もう何も言えないし、何も考えられない。兄さんを止めることは出来なかった。私は、寝室から出て行った兄さんを追いかける事が出来ず、ただ俯いて涙を流した。
私には何も出来なかったし、何も分かっていなかった。兄さんの想いの強さも、抱えた絶望感も。アキさんの本音も。何一つとして理解していなかったし、察してもいなかった。
残された惨い事実に打ちひしがれ、私はまたポロポロと涙を落とした。
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