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2.夢幻に踊らされ
「ぐ、うあ?」
訪れるはずだった一瞬の衝撃。気を失ったとはいえ、衝撃の瞬間だけは意識を取り戻すだろうと踏んでいたのだが……。
「生きてる……?」
俺は生きていた。見知らぬ天井が見えて、腕には点滴が刺さっているが確かに俺は生きている。
「あ、目を覚ましたかい?」
丁度良いと思われるタイミングで白衣を着た人間が俺の視界に入ってきた。おそらく医者だろう。
起きあがろうとしたのをやんわり静止させられると、医者は俺の状態を簡潔に説明してきた。
「運が良かったね。植え込みに落ちたおかげなのか、君の怪我は全身の打撲と右足首の亀裂骨折だけだよ」
「植え込みに? いや、それよりも何で生きてるんですか、俺は。11階から落ちたんですよ?」
「だから運が良かったと言ってるんだ。普通なら、植え込みに落ちたとしてもそれだけの高さなら即死しているよ。ただの骨折だけで済んだのが信じられないぐらいさ」
信じられない幸運。医者が苦笑してしまうほどの豪運であった。即死を回避したどころか、今後の生活にも影響がほぼ出ない程度の怪我に収まったのだから、これが豪運と言わずに何と表現しようか。
俺の死を邪魔しているのは何なのか。実は本当に存在している神なのか、それとも誰かの願いなのか。分からないが、とにかく生き残ってしまったことだけはハッキリと認識した。そして、自殺はどうやら不可能らしいことを悟った。
「念のため今日は入院してもらうけど、明日には自宅に戻って療養してもらうよ。そのぐらいの骨折なら数週間もあればある程度治っちゃうからね」
「分かりました……」
「あ、そうそう。君の家族がさっきまで居たんだけどね。一体何を言ったんだい? 御両親と妹さんの顔、尋常じゃなかったけど」
それじゃあ、と言って医者は部屋を出て行った。部屋の窓から外を見れば、既に綺麗な夕焼けが空を染め上げていた。
やけに静かになった病室と、夕刻の何とも言えない物悲しさが相まって変な気分になる。私物は家にあるので気を紛らわせる道具もない。せめて、携帯電話ぐらいは持ってくるんだったと後悔して、しかしあの高さから落ちたら壊れてしまうから意味がない思い直した。
はあ、と木霊のように反響する俺のため息。何をやっても裏目に出てしまう自身に苛立ちを覚える。
時間の進みがやけに遅く感じ、俺はまた外を眺めようとする。その時であった。
「……声?」
誰かの声が聞こえた気がしたのである。幻聴と割り切って無視する事も出来たが、何だか聞き覚えのある声な気がして放って置けない。寝た状態では探しにくいので、痛む身体に鞭打ちながら何とか状態を起こしたところで、俺は固まった。
部屋の隅っこに何かが居る。それは人の形をしていて、何だか透き通っていた。それだけなら目を逸らしていたかもしれないが、俺は目が釘付けになっている。
その理由は簡単だ。既視感があるからである。まさか。そんなまさかと否定しながらも、俺は声をかけた。
「アキ、なのか?」
それは、俺の声に対して劇的な反応を見せた。壁を向いて蹲り、肩を震わせて泣いていたらしいのだが、俺が声をかけた瞬間に立ち上がってこちらをものすごい速度で見てきた。そして駆け寄って来た。ちょっと怖い。
振り向いたそれの顔面部を見て、俺は目の前に立っている何かの正体を察した。せめて、幻覚ではないと願うばかりだ。
『ハルキ先輩! う、うわあああん!』
「え、ちょ、おい。いきなり泣かないでくれ」
『だって、だってええ!』
俺の胸元に飛びついて泣きじゃくるそれは、確かに死んだとされている最愛の人と全く同じ姿をしていた。
……もう分かるだろう。だが、現実味がないとどこかで感じるのであえて口に出すことにした。
「アキ、だよな? 死んだんじゃなかったのか?」
透き通っている。感じられるはずの温かさもゾッとするぐらい冷たい体温に置き換わっている。しかし、姿形は違いない。
死んだと言われていた俺の最愛の人。アキが、確かに俺の目の前に居た。
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