秋の夜に君と 1

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 青鹿の選ぶ店に、外れはない。  青鹿自身が料理好きで、気に入った店では店主やシェフと仲良くなり、そこからまた、つながりができるという。  『青ちゃん生誕祭』は、青鹿の知り合いの多国籍料理店で開かれていた。  次々と大皿料理が運ばれてくる。  仲間内に懐が寂しい者がいると知ったオーナーシェフが、リーズナブルにするから安心していいよ、と言ってくれたらしい。  野菜たっぷりのひき肉、鶏肉料理が多いが、ロシア風、タイ風など、ひと手間かけてあり、そのどれもが美味しい。    取り敢えずビールで乾杯した後は、2階席を貸し切ったこともあり、20人ほど集まった青鹿の友人たちは、それぞれ好きな場所で飲み食いしていた。  主役の青鹿も『まずは腹ごしらえ!』と、ばくばくと食べ始めた。  志野は、フロアの端の席で、同じ舞台に出演する仲間とともに、杯を傾けていた。  ちらりちらりと、無意識に視線は階段からの上り口を伺う。  まだ、あの、背の高い姿は、現れない。  きんと冷えた地酒を、一口飲んだ。  なめらかな口当たりと、最後に花のようなフルーティな香りがふわりと残る。  ひび細工の入ったグラスは、極寒の日に窓ガラスに咲く霜のようで、長く帰ることのない故郷の冬を思わせた。  東京の大学を選んだのは、学びたい専攻科がなかったというのは表向きの理由で、本当は、あの息苦しい狭い世界から飛び出したかっただけかもしれない。  結局、俳優という、家族の誰からも理解されない道を選んだことに、後悔はない。もしも、父や兄と同じ研究者の道へ進んだら、きっと、早晩自分はプレッシャーに負けて潰れていただろう。 「志野さん、美味しそうなの飲んでるね。日本酒?」  隅っこの席に座っていた志野の向かいに、青鹿が座った。 「うん。好きなのがあったから」 「日本酒好きだよね、志野さん。この前も飲んでたし」 「え、志野さんって、日本酒詳しいんですか?」  ビール1杯で頬を赤くした後輩が訊く。 「そんなに詳しいってほどじゃないけど。北の方のなら」 「なんか、似合いますね」 「うん。クールな感じが」 「え…。そう、かな」  皆のイメージと、自分の思うイメージとは、随分と違う。  確かに、事務所からの売り出し方も、クール寄りだった。そのせいもあるのかもしれない。  本来の自分は、そんなカッコいいもんじゃない。  じたばたして、うじうじ考えて、言いたいことも言えずに飲み込んで、あきらめてしまうことも多い。何も言えずに黙っているのを好意的に取ると、そんな風になるのだろう。 「…まだ、来ないね」  青鹿が、志野だけに聞こえる声で、ぽそっと言った。  きっと、椎葉は忙しいのだろう。あの演出家の舞台は、セリフが多くて大変と聞く。 「稽古が押してるんだろう」 「連絡がないから、まだやってるのかもね」 「誰のこと?」  隣に座る田上が、訊いてきた。 「椎葉。一応、声かけたんだけどね」 「ああ、あいつ、今度の舞台、結構苦戦してるみたいだからなー」 「最近会ったの?」 「俺、同じ事務所だから。この前、台本が分厚い上に、毎日どんどん変更されるから、死ぬって言ってた」 「ああ、それは、椎葉苦労するね…」  椎葉は元々セリフを覚えるのが苦手だった。  前の舞台でも、セリフが変更される度に、二人で居残ってさらった。 「志野さんは、舞台で椎葉と一緒になったことあったっけ」 「うん。この前の夏のやつ。あの時も結構変更多くて、椎葉、苦労してたから」 「あー! あの。椎葉と絡みがあったやつだっけ」 「絡みって言うか、あれは、椎葉がふざけただけだよ」  慌てて言うと、まるで言い訳みたいだ。  別に言い訳する必要もないのに。 「お、噂をすれば。椎葉!」  田上が、上り口の方を見て、声を上げた。  志野の心臓が、跳ねる。 「ごめん、ずいぶん遅くなっちゃって」  帽子とマスクを外すと、いつもの椎葉が現れた。  髪は金髪に近いミルクベージュ。長めのセンターパートを手櫛で掻き上げるのが、様になる。  椎葉はつかつかと店奥へと来ると、志野の向かいに座る青鹿へ、黄色のバラを中心に白とブルーの花が散らばる花束を差し出した。 「お誕生日、おめでとう、青鹿」 「わあー! ありがとう!!」  周囲からヒューヒューと声が上がる。  こういうことを、さらっとやっちゃうのが、椎葉だ。  椎葉の視線が、すっとこちらへ動く。  避ける間もなく、視線がぶつかり、志野は動揺を押し隠して、ぎこちなく会釈した。椎葉も、口の端を上げて笑みを浮かべた。  そのまま空席を探すように、椎葉の視線がさまよったが、隅っこに座っている志野の周囲に入る余地はない。 「椎葉、こっち、こっち!」  すぐさま別のテーブルから声がかかり、椎葉は引っ張って行かれてしまった。  向かいの青鹿が問うような視線を寄越したが、志野は気づかないふりをしてグラスを傾けた。
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