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ほとんどが二次会へと連なって行く中で、志野は青鹿へ、
「ごめん。帰るよ」
と、声をかけると、駅への道を歩き出した。
結局、椎葉とは話すことができなかった。
友人が多く、話しがうまく、皆に好かれている椎葉は、あちこちのテーブルに呼ばれ、楽しそうにしていた。
自分はというと、根っこが生えたように隅っこの席にいた。
色んな人が入れ替わり立ち代わり来ては、話し、飽きることはなかったが、自分から椎葉の方へと行くことはできなかった。
心残りがないと言ったら嘘になるけれど、椎葉に会えただけでもうれしかった。
楽しそうに友人たちと話す姿を盗み見ながら、美味しい酒を飲むなんて、贅沢だと思った。
見られていた椎葉からすると、気持ち悪いと思われても仕方ないが、想いを伝えることができない分、そのぐらいの楽しみは許して欲しい。
次、いつ会えるのかは、わからない。
結局、連絡先も聞けないまま。
ふうっとため息をつく。
今さら…。
もう、とっくの昔に、あの舞台は終わった。
椎葉とは、また何かの機会に会えるかもしれない。
もしかしたら、また、共演できるかもしれない。
それでいいじゃないか。
自分には、それで十分なんだ。
気分を変えようとして、音楽を聴くためにイヤホンケースを出そうと、肩に掛けたカバンの中を手で探る。
――財布、台本、小説、水の入ったペットボトル、タオル、スマホ。
嫌な予感。
…あれ、もしかして、ない……?
歩道の脇で立ち止まる。
もう一度、ごそごそとカバンの中を探る。
やっぱり、ない。
店では、荷物置き場にした椅子の上に、皆と一緒にカバンを積んでいた。もしかしたら、何かの拍子に落ちてしまったかもしれない。
しょうがない、店へ戻ろう。
閉店したかもしれないが、事情を話せば、探させてくれるだろう。
志野は、店の方へと歩き出した。
その時。
向かい側から、椎葉らしい人影が来るのが見えた。
志野は立ち止まる。
「椎葉…?」
「志野…」
互いに向かい合う。
椎葉は志野よりも背が高く、少し見上げる角度になる。
「どうしたんだよ。二次会に行くんじゃなかったのか」
「そっちこそ。帰るんじゃなかったのか」
「イヤホンがなくて」
「イヤホン?」
「イヤホンがカバンの中に見当たらなくて。店で落としたかと思って、探しに戻ろうとしてたんだ」
「もしかして、ワイヤレス?」
「…そう」
「あれ、落っことすんだよな。俺、絶対だめ。いまだに普通のコードついたやつじゃないと」
椎葉が、ははは、と笑う。つられて志野も苦笑した。
「ケースに入れてたし、無くさない、って自信あったんだけど…」
「一緒に探すよ。戻ろう」
「え、でも、椎葉、帰るんじゃなかったのか? 稽古も大変そうだし、疲れてるだろう」
「大丈夫だよ、そのくらい。戻りながら、一緒に探していこう」
二人並んで、元来た道を戻る。
「…椎葉、金髪にしたんだね。綺麗な色」
「今度の舞台と、モデルの仕事で…。痛むからホントは嫌なんだけどさ」
「僕は、金髪はないな」
「志野が金髪か。意外と似合うかも」
「めっちゃ日本人顔なんだけど。似合わないでしょ」
「いやいや。ヘーゼルベージュとかなら、似合うと思うよ。ちょっとかわいい感じで」
志野が、ふ、と笑う。
「なんだよ、それ」
少し話すだけで、久しぶりの気まずさはすっかり霧散し、舞台で一緒だった頃のように話せていた。
割り切ろうとしても割り切れず、どこか重かった気持ちが、もう軽くなっている。
店に戻って探したが、結局イヤホンは見つからなかった。
もしかしたら、帰り支度を急いだので、稽古場に落としたかもしれない。
まあ、次の稽古の時に、探せばいい。
シェフへ礼を言い、椎葉と一緒に、再び駅への道を並んで歩く。
ただ、それだけのことなのに、心は勝手に浮き立つ。
駆け出そうとする犬の手綱をぐっと引くように、志野は椎葉へと向かいそうになる気持ちを意思の力で抑えつつ、歩く。
「稽古、大変そうだね。田上から聞いたよ」
「そうなんだよ。覚悟はしていたけど、セリフが超多くて。毎日変更も山ほどあるし」
「練習、つき合おうか……?」
「え」
椎葉が立ち止まり、目をしばたいた。
志野は、思わず自分の口から零れた言葉に、はっと我に返る。
そこまで、椎葉と仲良いわけでもない自分が、何を言っているんだ。
自己を抑制していたつもりが、アルコールのせいで甘くなっているのかもしれない。
「ごめん。そんなの椎葉なら一人でできるよな。余計なお世話だった。取り消す」
「……いや。練習つき合うって、志野、それ、本気で言ってる…?」
「え…?」
今度は、志野が目をしばたいた。
椎葉が、黒褐色の瞳を細め、形のよい唇に笑みを浮かべた。
「志野がつき合ってくれるなら、すごく助かるし、うれしい」
そういうことを、さらりと言える椎葉は、やっぱり人たらしだと思った。
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