ゆく春に君と 4

2/3
298人が本棚に入れています
本棚に追加
/48ページ
無言でずんずん進む椎葉に手を引かれ、人のいない廊下の奥まで来ると、壁と椎葉に挟まれるように抱きしめられた。 椎葉の中に閉じ込められるように、きつく。 心臓が痛いくらい、ばくばくしている。 「…志野。和久井さんとつき合ってるのか…?」 くぐもった声が聞こえた。 「は?」 想定外の問いかけに、一瞬頭が回らなかった。 何で。 そんなこと、あり得ないだろ。 僕はいつだって。 「つき合ってないよ。ドラマの役はそうだけど、あくまでドラマの中だけだ」 椎葉だって、ドラマでの関係がフィクションだと当然わかっているだろう。 それでも、心がざわつくのはわかる。 自分も、芝居とはいえ椎葉と相手役との絡みは、極力見ないようにしていた。心がひどく掻き乱されるのがわかりきっているから。 「さっき、和久井さんが志野の肩を抱いて…」 「あー、あれは、芝居の練習だって。即興劇(エチュード)」 「エチュード…」 「そう。和久井さんがドラマの役名で呼んで来たから、それに合わせただけだよ」 はーーーっと深いため息が、聞こえた。 「…ごめん。勘違いした…かも」 「いいよ。全然大丈夫」 腕を緩め、至近距離で見つめ合うと、さらに動悸は高まる。 顔が熱い。 椎葉だ。 ずっと、会いたかった、椎葉が、ここにいる。 ぶわっと気持ちが膨らむのがわかった。 椎葉の指が、あの、左耳のピアスに触れる。 今でも椎葉からもらったピアスをずっと着けていた。いつだって椎葉とともにいたかった。 自分から椎葉の傍にいられないと別れを決めたくせに、ちっとも離れられない――その証のようなものだ。 椎葉の指先がピアスの着いた耳朶をなぞるのを、目を閉じて感じる。 それだけでぞくぞくして、呼吸が不規則に乱れて来るのを隠せない。 泣きそうだ。 椎葉。好きだ。 「志野。ごめん」 なんの謝罪だよ、椎葉。 謝るのは、僕の方だ。 そう言おうとして唇を開いたところを、キスで塞がれた。 つき合っていないのに、とか、ここ廊下だろ、とか、そんなことは全てどこかへ行った。 椎葉の背に腕を伸ばし、夢中で唇を合わせ舌を絡め合う。 身体の奥に抑え込んでいた椎葉への想いが、肌を突き破り、嬉々として(つる)を伸ばす。 椎葉、好きだ。 徐々に体の芯が熱を帯びてくる。 とろりとした極甘の息苦しさに唇を離すと、椎葉のまなざしとぶつかった。 たぶん同じ熱量の、余裕のなく、極限まで高まった想いを内包した猶予のない身体が、服の下で擦り合う。 「……俺の部屋、来る?」 その問いの答えは、一択しかない。 うなずくと、椎葉の目の端が少し緩んだ。 その笑顔に、この数か月間の逡巡なんて、全部粉々にふっとばされた。
/48ページ

最初のコメントを投稿しよう!