交差点で君と (Side 椎葉)

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   先月の舞台で。  つらさをこらえて俯く志野を、俺が励ます場面で、演出家が、 「これは単なる友情では、括り切れんよなあ…」 と、呟いた。  俺は、心を見透かされたように感じ、どきりと心臓が跳ねた。自覚しないよう、直視しないようにごまかしていた、志野への思慕を指摘されたように感じ、背中を冷汗が流れた。  なので、男同士の友情をほんの少しだけ超えるような、僅かなほのめかしをしてみようか、との提案に、敢えて乗った。拒否すれば、余計に怪しまれる。  志野の華奢な肩を抱きしめる時に、彼のさらりとした髪を何度か梳き、自分の胸に引き寄せると、形良い耳朶を戯れに軽く摘んで弄び、人差し指で首筋をすうっと辿った。  びくり、と跳ねた肩。うっすらと色づく頬。  俺は馬鹿だ。ふざけたつもりが、逆に煽られ、動悸が収まらなくなった。  それをごまかすために、今度は大げさに彼の髪に頬を寄せて、愛おしそうに掻き抱いた。  見ていたギャラリーが湧く。周囲にドン引きされたらどうしよう、と内心ひやひやしていた俺はほっとして、明るく笑って志野を開放すると、彼は真っ赤になって抗議してきた。  それからは、その場面はアドリブを仕掛けては、志野を翻弄した。   本公演が始まってからも、毎回、彼は突っかかって来た。 「やめろよ」 「やだね。評判いいじゃん。お客さんも喜んでるし」 「心臓に悪い」 「脚本家の久野先生だって、楽しみにしてるらしいよ」 などと、言い合いながら。    全ておふざけにしてしまえばいい。他意なく見える戯れは、本心を上手くカモフラージュしてくれる。  その一方で、いつにない密接に、ほの暗い悦びが積もり重なっていく。少し汗ばんだ志野の匂い。鼓動、息遣い――  俺は大馬鹿者だった。  千秋楽で、彼は反撃に出た。  いつもの如くぎゅっと抱きしめると、志野も俺の背に両腕を回し、胸に顔を埋めると頬をすり寄せて来た。まるで、全身で恋人に甘えるように。  不意打ちを食らい、思わず緩めた腕の中で、少し潤んだ瞳で見上げる志野。  スポットライトの中、俺たちは、ほんの一瞬、見つめ合い――  舞台上なのに、うっかりずくりと身の下が反応し、俺がどれだけ動揺したか、彼は知る由もない――              ◇  スクランブル交差点に響く、いささか歪んだピヨ、ピヨ、という歩行者信号の音を聞きながら渡り終えた。  歩道を歩き出した友人たちから少し遅れるように、俺はわざと歩を緩めた。  何の気なしにといった風を装い、俺は、振り返った。  夕闇に濃い緑色の葉を広げる夏木立へと視線を流しながら、交差点の向こう側に、志野の姿を探す。  ――と。  人並み向こう側、同じようにこちらを振り返る人影がいた。  志野、だ。  ごまかしようもなく、まともに視線がぶつかる。  かあっと自分の頬が熱くなるのを感じた。  やばい。    頑丈な鍵など木っ端みじんにふっとばされ、自分の心が、ただ、無残に彼の視線の前で、大きく開かれているのを呆然と見ているしかなかった。  自分が、どんな、渇望するような眼差しで、志野の姿を探していたか――  きっと、彼に、ばれてしまったに違いない。  互いに、大きく目を見開いて、互いの姿を見つめた。  きっと、時間にしたら、ほんの一瞬だったかもしれないが。  永遠に感じた、その次の瞬間。    志野の頬に、ふわりと笑みが浮かんだ。  彼の、いつもの、あの柔らかな笑顔。  また、心臓を鷲掴みにされる――  完敗だった。 「連絡先ぐらい、交換すればいいじゃん」  彼との共通の役者仲間からは、何度かそう言われた。  だが、怖かった。  連絡先を知ってしまえば、携帯という自分の手の中から直接彼につながるツールを手に入れてしまったら、きっと、俺は彼へと真っすぐに堕ちて行くに違いない。  物理的に距離を取ることで抑えていなければ、どんな手を使っても、絶対にこの腕に彼を掻き抱こうとするだろう――そんな狂気を持つぐらい彼のことを想っていると、本当は自覚していた。    火照る頬を何とか意思の力でねじ伏せ、俺は口の端を上げて笑みを作ると、向こう岸の志野へ、小さく手を挙げた。  志野が、微かにうなずくのが見えた。  目深に被った帽子から見える瞳が、確かにしっかりと俺を捉え、最後に少しだけ切なげに細められた。  それだけで、心がぎゅうっと締め付けられる。    なんて表情で見るんだよ、志野――  瞬間、暴力的なまでの想いが、突沸する。  今すぐ、この目の前の車やトラックがひっきりなしに走る大通りを駆け抜け、ガードレールを飛び越えて、向こう岸の彼の目前に立ち。  この腕の中に、きつくきつく抱きしめたい――  だが、志野はすっと踵を返すと、速足で雑踏を歩き出した。  俺とは、逆の方向へ。  先を歩いていた友人たちが、「おーい、どしたー?」「行くぞー」と、のんきに俺を呼ぶ。  俺も、歩き出す。  志野とは逆の方向へ。  背中に、彼の存在を感じながら。  あの時、抱きしめた華奢な志野の肩を、熱を、匂いを、鼓動を思い出す。  今は、別々の舞台の稽古に励んでいるけれども。  また、一緒に仕事ができたら。  「…また、いつか」  志野の声が蘇る。  その時は、きっと――  
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