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数時間後、ジーンは着古したジャケットを着て、ホテルの高層階のレストランにいた。
ネイビーのツイードのジャケットは学生時代に買ったものだった。少しばかり上等なレストランでも入店を断られないような服、アパートメントの小さなクローゼットには他にないのだから仕方がない。
どんな店に行くかわからなかったから、ちょっといい店でも、安いパブでも浮くことがない――そんな店にザックが行くかどうかはともかく――ビジネスカジュアルでも通用するギリギリの線を狙ったのだが、ここはなんと星付きのレストランだ。この手の店は毎月一日に翌月分の予約を開始して、大抵は数時間で予約はいっぱいになってしまうものだが、ザックはどうやって今夜の予約を取ったのだろうか。
「口に合わないか?」
アミューズのココットに入ったスープに手をつけたきり、ぼんやりしていたらしい。ハッとすると、淡いブルーグレーの瞳がジーンをじっと見つめていた。
「いや、ちょっと緊張して」とジーンは言い訳をした。
「美味しいですよ。もちろん」
実際、バターナッツスクワッシュのスープは甘みと旨味が絶秒で、皿一杯どころかボール一杯だって飲めそうだったが食が進むかどうかはまた別問題だ。
ただ、緊張して、というのは少々語弊がある。フォーブス・トラベルガイドで星をもらうホテルで日々働いているのだ、この手の雰囲気の中、慇懃にまるで動じていないように振る舞うことには慣れていた。
高級なレストランだが、ウェイターもソムリエも気さくで、感じがいい。彼らのおかげで食事は思いのほか楽しめそうだ。ただ、少々肩が凝るというだけで。
ニューヨークに住んでいても、毎晩マンハッタンの夜景を眺めて食事する機会に恵まれるわけではないのだ。ザックは世界中のどこに住んでいようと、日常的にこういったレストランを利用する人種だということだ。完璧な所作で、食べ方まで美しいザックを見て思う。
「普段はどういう店に食事に行くんだ」
「普段? そうだな……適当な店でテイクアウトしたり? その辺のパブに入って済ませることが多いです」
甘辛いソースの掛かったカリカリのチキン。ベタついた手を舐めながら呷る、仕事終わりのビール。最高じゃないか。
「そういう気楽な店の方が好きですね」と言ってから「もちろん、こういう店も悪くないけど」と付け加える。
ザックは苦笑して「次の参考にしよう」と言った。
次があるとは。まだ一回目のデート――とそのあとのセックス――が成功するかもわからないのに。
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