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小学生の頃、『ケンちゃん』という友達がいた。彼は所謂ガキ大将で、昼休みにはいつも私を外に連れ出していた。本を読むのが好きな私は無理矢理連れ出されて嫌な思いをしたけれど、ケンちゃんと遊ぶのは嫌いではなかった。校庭には小さな山があり、くり抜くように土管が刺さっていた。ケンちゃんはその小さな山に仁王立ちになり見下ろす。太陽の光を受けて笑うケンちゃんはとても眩しくて、私は目を細めた。思えばその時の胸の高まりは、恋だったのだと思う。けれど私は恋に気付くことなく、転校してケンちゃんとはそれっきり会うことはなかった。
「あれ?アイちゃん?」
仕事の取引先で声をかけられた。黒髪をきっちりとワックスで固め、柔和に笑む男。私は覚えがなくて首を傾げた。
「ええと……、すみません、どちら様ですか?」
男は残念そうに眉を下げて、頬をかいた。
「覚えてなかったかあ。昔のことだし、無理はないけどね。『ケンちゃん』って覚えてる?」
『ケンちゃん』という言葉に、小学生の頃の記憶が蘇る。
「えっ?ガキ大将だった、あの『ケンちゃん』?」
「そうそう!覚えててくれて嬉しいなあ」
男は喜びに花を咲かせる。私は朧気な記憶を手繰り寄せながら首を傾げる。ケンちゃんってこんな顔をしていたっけ?いやしかし、大人になると顔つきは変わるものだろう。私はそう自分を納得させる。
「久しぶりに会えたし、今度お茶しない?」
男の誘いはいささか軽薄に思えた。しかし、ここは取引先だ。断るのは憚られた。一度だけならばいいだろう。私は彼の誘いに乗ることにしたのだった。
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