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5 結婚に愛は要らない
私は手鏡で自分の顔を確認してみた。
「何をしている?」
「私、怒った顔していますね」
「ああ。それに、さっき一瞬、悲しそうだった」
「そうは見えませんけど」
「今は怒っている。たぶん、俺を不作法者だと言いたいのだろう」
「そんな、まさか」
笑ってみた。
すると元帥も口角をあげた。それが意外なほど素敵で、つい胸がときめく。
「俺は君に嫌な奴だと思われたくはないが、よく思ってもらう方法は贈り物くらいしか考えつかなかった。失敗したが、それでもいい。本題に入ろう」
「は、い?」
本題、とは。
医者の代金?
私も緊張しているけれど、侍女と使用人も固唾を呑んで食い入るように私たちを見ている。
「君を傷つけた男の名はいずれわかる」
「……なぜ?」
それが本題?
なんの調査?
「もう一度鏡を見るか? その顔は、困惑だ。次は?」
「想像もつきません」
「俺は想像している。タミー・アップショー。妻になってほしい」
「──」
電流が走るようだった。
血が沸騰したように感じた。
「ほら、驚いた。俺の想像より君はきれいだ」
「お茶のお代わりをどうぞ!」
いいタイミング。
私と元帥の間に見慣れた侍女の顔が割り込んできて、少しだけ冷静さを取り戻す事ができた。テーブルに手鏡を伏せて、とにかく笑顔を貼り付ける。
「うふふふふ」
馬鹿みたい。
媚びを売る頭の空っぽな令嬢みたい。
でも今の私は大差ない。
なんの案も浮かばない。
熱いお茶も入っちゃったし。
「タミー。君の笑顔を見る事ができて嬉しいよ。返事をくれるともっと嬉しい」
「返事って?」
「それは初心なふりか? 嫌なのか? 言ってくれなきゃわからないんだ。慣れてないから」
「表情を読むのはお上手でした、私、どう見えますか?」
「逃げ出したい」
「ええ、そうです」
元帥は一度唇を舐めて、穏やかに目を伏せた。
「その男が忘れられない?」
「まさか!」
それはない。
本当だ。
ただ、その前にはもう戻れないだけだ。
「急な、お話で……」
「どう断ればいいか考えているんだろう?」
「……」
唇を、封印した。
「俺は軍人だ。いつ死ぬかわからない男だ。だが、生涯いい暮らしを約束できる。俺が留守の間、自由にしてくれていい。あらゆる意味で友人を招いて楽しんでもらって構わない」
「え?」
今、聞き捨てならない事をサラッと言われた気がする。
「結婚に愛は必要ない」
しっかり続きがあるみたいだ。
「君が俺を愛する必要はない。その後、愛を見つけたら、大事にするといい」
「待って」
「断る理由が思いついたか?」
「質問です。それは、貴方も外で愛を見つけるという、宣言でしょうか」
「いや、違う」
断言されても、ぜんぜん嬉しくない。
「もういらっしゃるなら、その方とご結婚なさればいいのでは?」
「それも違う。俺は昨日、君に心を奪われた。俺の差し出せる全てを差し出す事で、君を俺の一部にしたい」
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