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8 月夜のキス
結婚式で、彼は私のベールを上げたあと、唇ではなく顎に触れるか触れないかのキスをした。なんだか変な気分ではあったけれど、嫌だとか、傷ついたという事はなかった。侍女は、無骨な人だから人前では照れてしまったのだろうと笑っていた。
「初めて会った瞬間から、俺は、君に夢中だ。だが君は違う。君は、俺に頷いただけだった。気持ちの悪い大男に唇を吸われたなどと思われたら、一生、その汚名を拭えない」
「その心配は的外れだわ」
「それならよかった。今、君の目を見ている」
「ええ」
「吸い込まれそうで、眩暈がするよ」
「ええ」
「君は特に変わりはないか?」
絶対にキスをする流れだと思ったのに、なんだかいじらしい。
「首が痛いです」
「ああ、悪かった」
彼が片方の手を離し、私の後頭部を支えた。
「楽になった?」
「ええ」
さっきより近くなった顔と、抱きしめるように触れる腕や広い胸に、呼吸が乱れる。
「そうか? さっきより少し」
「目を見て」
彼は、珍しい物を月灯りに照らして確かめるように、まじまじと私を見つめた。
彼を待っていたら干乾びてしまう。
「ジョザイア」
「ああ……っ、タミー」
あたたかな唇が触れた。
キスはすぐに深く、熱く、激しさを増していった。
大きな夫は、難しそうに私の体を抱きしめている。体格が違うし、彼も私も慣れていない事なので、うまくかみ合わない感じがした。それがキスを続けるうちに、だんだんと、わかってきた。
私は腕を彼の太い首にかけた。
彼は私の腰に腕を回して抱き上げた。
彼の唇は肉厚で、舌は分厚く、力強い。熱い吐息が交じり合い、息継ぎのたびに甘い声が鼻から抜ける。体が火照るのを初めて感じ、悪くないと思った。
何が起きても、この夫は私を抱きしめて離さない。
そう安心できた。
「タミー……」
ありふれた私の名前。聞きなれたはずなのに、とびきり甘く響く。
「俺たちは、もう少し時間を共有する必要がある」
「ええ」
「今夜は一緒に眠らないか? 眠くなるまで、同じ天井を眺めて話をしよう」
「ええ、賛成」
そして本当に眠くなるまで、私たちは暗い天井を眺めて話をしていた。彼が先に眠り、無言の時間が続いて私が眠る。そんな日々をしばらく過ごしながら、私は着実に、夫への恋心を膨らませていったのだ。
やがて留守の間が寂しくなり、帰りを待ちわび、無事を祈るようになった。
食事が通らなくなると、帰ってきた彼はすぐに気づいて、滋養強壮によい食事や甘い菓子をたくさん用意してくれた。
私を前に乗せて遠乗りに連れて行ってくれた。
そこでピクニックをした。
時には歌劇へ、時には博物館へ。
私たちはいつのまにか、おしどり夫婦と噂されるまでになっていた。
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