遺言書

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 初めて彼女と言葉を交したのは小学生のときでした。その日私は教科書を家に置いてきてしまって、しかも分類上授業中に手を挙げられないタイプの人間でしたから、自分の机で一人泣きそうになりながら他の科目の教科書を眺めていました。 「一緒に見よ?」  そう言って机を近づけてきてくれたぺしぇちゃんは、ありきたりですが、まるで天使のようでした。彼女が纏っていた真っ白なワンピースが私にそう思わせたのかもしれません。これが私たちの出会いでした。私はこのときすぐに、彼女が周囲の愚かな子どもたちとは違う存在であることを理解しました。そうでなければ彼女の幼いながら完成された当時の美しさ、それから誰にでも平等に愛を注ぐ姿に説明が付かないのです。  私は彼女にニックネームを付けようと思いました。私が親愛の証だと言うと、彼女は何度も何度も頷いて、それから「ありがとう」と笑顔を浮かべました。私は彼女の本名である「桃」をフランス語に変え、「ペしぇ」と呼ぶことにしました。小学生が「桃」のフランス語なんかどこで知ったんだと思われるかもしれませんが、私の父と母は飲んだくれでしたから、お酒に関する知識はある程度持っていたのです。ほら、ペシェと呼ばれる桃のリキュールがあるでしょう?  私が付けた名前を気に入ってくれたのか、彼女はクラスメイトたちにも「ぺしぇ」と呼ぶように言いました。彼女は人気者でしたが、その可愛らしいニックネームを背負ってからはいっそう彼女の元へ人が集まるようになったのです。いや、ニックネームが可愛らしいのではなく、彼女の存在があってこそ「ぺしぇ」という名前が完成されるのです。
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