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倒れた仏具の隙間を縫うようにして、本堂の奥へと進む。立ち込めた黒煙を纏いながらも、心眼を頼りにして、一歩一歩、畳を踏み締めた。
「梢さん、いたら返事してくれ!」
しかし、自分の声は煙にまかれるばかりで、返事は返ってこない。
寺に残っていると思ったのは俺の勘違いで、梢さんは避難しているんじゃないか。そう思った時、視界の隅で何かが動いた。炎の揺らめきじゃない、家具とも違うシルエット。ゆっくり焦点を合わせると、そこに居たのは梢さんだった。
「梢さん!」
俺は自分の身体を受肉させ、こちらに背を向けて倒れる梢さんに駆け寄った。声に気付いた梢さんは、ゆっくりと顔を上げる。陶器のように白い肌は煤けて黒く汚れ、額からは一筋の血が流れていた。
「一迦道さん? どうしてここに‥‥」
梢さんを抱き起こそうと、身体の下に手を入れたが、思うように動かせない。よく見ると、梢さんの足には、倒れた柱がのしかかっていて、その重さで起き上がれないようだった。
「待ってろ、すぐ助けてやるからな」
チリチリと焼けた柱を持ち上げ、反対側へ倒す。履いているロングスカートは破れ、膝の辺りから露出した足は黒く変色していた。
どうやら長時間、柱の下敷きになっていたらしい。このまま放っておけば、皮膚が壊死してしまう可能性もある。直ぐに病院へ連れて行かなくては。
「俺は野暮用で送っていけないが、目につきやすいところまで行こう。誰かに会ったら、病院へ連れてってもらうよう頼んでくれ」
着ていたシャツを膝に掛け、梢さんを抱え上げると、ぎこちない素振りで腕にしがみついてきた。よほど怖かったのだろうか、ブラウスを纏った細い肩が小刻みに震えている。
「———、居てくれないんですか」
木が爆ぜ、炎がうねる音に混じり、梢さんの掠れた声が聞こえた。
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