忌み神の匣

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「‥‥‥‥そばに居てくれないんですか?」  今度ははっきりと聞こえた梢さんの問いに、俺は首を振る。 「そりゃ俺だって梢さんに付き添ってやりたいが、片付けなきゃいけないこともあるし、もうちょい此処に残るよ」 「なに言ってるんですか。こんな火の中にいたら、一迦道さんだって危ないですよ」  弱々しい梢さんの声は、俺の耳に届いても、心にまでは届かない。  何故なら人間を守るべき存在は、自身を犠牲にするのが宿命なのだ。 「俺のことはいいって、今は自分の心配だけしててくだせえ」  わざと戯けた口調で言って顔を上げた時、炎は来た当初よりも広がっていた。気がつけば全身汗だくで、梢さんを抱える腕は特に酷い。熱さによるものか、緊張によるものか分からない汗が滴り落ちている。  俺はちらちら揺れる火を視界の隅に捉えつつ、瓦礫の間を縫い、本堂を抜けて中庭を目指した。木や畳や呪物の匂いが立ち込める中、抱えられた梢さんは、激しく咳き込みながら、薄く開いた瞼に涙を浮かべている。身を低くして歩いていたつもりだったが、煙を吸わないで逃げるのは不可能だった。 「梢さん、俺は両手が塞がってるから、自分で口を覆えるか?」 「‥‥はい」  返事はしたものの、震える梢さんの手は上手く口元を覆えていない。ぐったりとした腕が胸元まで這ってきたと思えば、力尽きるようにして止まってしまった。仕方ないので片手で梢さんの手を取り、口元に置いてやる。  人間はどうしてこうも脆いのだろう。  その割には、他人の身を案じたりもする。お互いに脆いことを知っているから、優しくしようと思うのかもしれない。   「梢さんみたいに優しい人は、こんなところで死んじゃいけない。落合さんもお店のお客さんも、あなたがいないと困る。だから、生きて帰ろう」
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