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序
ー慶長五年(一六○○年)八月
男は本丸天守から、晴れ渡った空の下、粛々と東へ向かう一軍を静かに見守っていた。
翻る旗印は三ツ山、そして、家紋の三盛亀甲花菱。
馬上の大将は直江山城守兼続。彼の最も信頼する、最も近しく月日を共にしてきた男である。
だが、その背を見つめる彼の眼は昏い。
出立する無二の盟友、半身とも言える男を送り出した時の平静な様はもはや消え、暗い翳りが男の顔を包んでいた。
彼は、元来表情に乏しい性質である。自ら努めて表情を出さぬよう心してきたこともあるが、同時に言葉数も極端に少ない。舌禍の怖さもある、がそれ以前に彼の中で絶えず思考されているものを、端的に表現するのが難しいのだ。
おそらく言葉にしたとて百分の一も伝わらぬであろう。ならば曲解されるよりははるかにマシ、と口をつぐんでいるのだ。
しかし......
ーなぜ、止めてやれなかったのかー
遠ざかる背に彼には珍しく後悔と不安とが巻き上がる。
ー難しい戦になる......ー
最初に男から腹案を打ち明けられた時、瞬時にそう思った。
事の起こりは、先の権力者の死去から始まった。
権力を握っていたのは足軽から身を起こし、その才気と力量だけで、天下の主に登り詰めた男だ。
その後継者は幼く、天下は混乱の様相に戻りつつあった。
特に徳川家康という、乱世の混沌を生き抜いてきた男は牙を再び剥き出し、天下を喰らわんとしている。
前政権の要職にあった彼らに矛先が向いてくるのは実に容易に推察できた。
それゆえ、先んじて陽動を仕掛けたのは事実だ。
言葉に秀でたあの男、直江山城守がしたためた書状は隙なく正論を突き、古狸のごとき老将を激怒させるに十分だった。
老将がこちらに兵を向けている間に、前の権力者・豊臣秀吉の子飼い、その遺志を頑なに守らんとする石田三成が、家康に反感を持つ西国大名を集め、その背後を突く。ーある意味、遠大な謀略だった。
それは半ば成功はした。
こちらに、会津に向かっていた兵は、三成ら西国大名の挙兵を受けて踵を返し、西へ向かった。
しかし......だ。
ー果たして結束は保てるのか?ー
石田三成の言う『豊臣恩顧の大名』など、ほぼいないのだ。豊臣秀吉の盟友であった前田利家は既に病床に伏している。
他の大老......西国の雄、毛利家や島津家の腹のなかにあるのは恩などではない。『憎悪』であり『怨嗟』だ。
彼らが軍を動かすのは、ひとえに家康に台頭されたくないだけだ。
そして、直江山城守が今から向かおうとする先、最上はそれよりもなお強い怨嗟を豊臣秀吉とその政権に抱いている。
最上義光は愛する娘を秀吉の甥、関白秀次の側室に召し上げられた。
その秀次が謀叛で切腹させられた折に、他の妻妾同様に惨殺された。まだ対面も済まない十二歳の娘を斬首にされ、その亡骸は他の妻妾とともに、急場づくりの穴に投げ込まれ、その塚は畜生塚などと蔑まれているのだ。
最上義光はそればかりか、娘の死を嘆いた妻女が自害までしているのだ。
その秀吉の懐刀、秀次とその妻妾の処断の実行者である三成に組みするとは、彼には到底思えなかった。
『我らの圧倒的な兵力をもってすれば、いくら勇猛をもって聞こえた最上とて旗下に下りましょう』
自信満々な腹心の煌然と輝く瞳に彼は否やとは言えなかった。
そして、
『伊達・佐竹氏もともに我らと盟約を果たしております。いざとなれば自分達を支援してくれるはず......』
きっぱりと言いきった口調に、彼はこの大事なる半身の説得を諦めた。
その代わり、随従の者に戦況を余さず伝えるように命じた。
ー身をもって学ばねばわからぬこともある......かー
彼は天守から降りると、本丸の奥まった場所に設えられた廟所に向かった。
しんと鎮まった中、端座しそこに眠る義父に、軍神と呼ばれた存在にひたすらに祈る。
ー御実城さま、謙信さま、与六をお守りくだされ.....ー
ふっ......と灯明が揺れ、背後に人の気配が立った。
『やれ、どこまでもあれが可愛いと見ゆるな、景勝』
姿は、無い。だが彼はこの声の主を知っている。儚く消えたその命を未練と彷徨っいるという噂もあった。
彼は声に静かに答えた。
『わしには誰よりも替えがたい者。せめて生きて帰ってくれればよい。そなたなれば、少しもお分かりになるであろう、盛隆どの』
『殊勝なことよ』
影は、ふん......と小さく鼻を鳴らして消えた。
ーそうじゃ、わしはあれが誰よりも大切じゃ。巡り合ったあの時から、二人でひとつ......なのだからなー
彼はふぅと息を吐いて、再び眼を閉じた。
剛毅で知られる上杉景勝の、最も深い懊惱の夜が訪れようとしていた。
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