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一 幼き主従
直江山城守兼続は元の名を樋口与六といった。
与六は、景勝の生家、上田長尾家を支えてきた家臣のひとり、樋口惣右衛門兼豊の子で、幼少より利発との声も高かった。
上田長尾家の嫡男であった景勝は、まだ卯松と呼ばれていた十歳の時、父・長尾政景を事故で失った。
湖で涼を取っていた際に、舟が転覆して溺死したと聞かされた。家中では、政景の肩口には刀傷があり、下平修理の乱行によるものではないかと噂されており、ひいては某かの企みではないかと囁くものもあった。
上田長尾家が家中で重用されて力を持つことを嫌う府中長尾の者の誰かの企みとも考えられていた。
いずれにしろ、景勝ー卯松は、府中長尾家の当主、越後の守護代である上杉輝虎(後の謙信)の養子分となり、元服して長尾喜平次顕景と名を改めた。
景勝こと喜平次が与六と出会ったのはこの頃だった。
喜平次が輝虎(謙信)の命により与板の雲洞庵で学問を修めていた折に、側仕えとして引き合わされたのだ。
ー幼いなー
当時、与六はまだ数えの六歳である。
『まあ、遊び相手と思うて.....』
と言う母・仙洞院の言葉に、喜平次は多少ためらいつつ、頷いた。
喜平次は生来、人と馴染みにくい性質だった。兄弟も妹しかいない。
このような幼げな子どもをどう扱っていいのか、図りかね、戸惑うことはたぶんにあった。
それでも、年端のいかない子どもはこの寺に二人きりだ。
『よろしくお願いいたしまする』
と小さな頭を下げた与六のきゅっと締めた唇に見る幼い決意を無碍には出来なかった。
与六は、喜平次の眼で見る限りでも、必死に頑張っていた。
それでも、幼い子どものことだ。
夜、布団の中で涙を堪えきれず、喜平次に見えないよう、背中を向けてしゃくりあげていることもあった。
一度、二度目は、さすがに気になって声をかけた。だが、
『大丈夫か?』
と訊くと、一層深く布団に潜り、身体を強張らせて震える声で言うのだ。
『何もありませぬ』
三度目には、喜平次は問いかけはしなかった。
その代わり、自分のほうに引き寄せて、ぎゅっと胸元に抱きしめてやった。
幼いくせに相当な意地っ張りであることは、もう十分わかった。が、寂しいことにかわりがあろうはずもない。
『何をなさいますか?』
と驚いたように見上げる与六から少し目を反らして、喜平次はつっかえながら、呟くように言った。
『寒いのじゃ。主を温めるのも側仕えの役目ぞ』
『は、はい.....』
与六は少し顔を赤くしながら消え入るような声で頷き、喜平次にしがみついて、眠った。
それから、この幼い主従は当たり前のように抱き合って眠った。雪の深い寒い夜は特に、互いの温もりに心が安らいだ。
喜平次と与六は眠い目を擦りながら、時に和尚の目を盗んで近くの山で木の実を頬張りながら、勉学に励んだ。
与六は年に似合わず飲み込みの早い子どもで、時に和尚を感嘆させたが、和尚は喜平次にそれを求めることはなかった。
『じっくりと、よくよくと考えなされ。物事は十分加味してから答えを出すものです』
そして、中国の書物に描かれた絵を指して言うのだった。
『これは玄武にございます』
『玄武?』
『左様、陰陽では北方の守り神とされております』
喜平次は、和尚の指した絵をしげしげと眺め、そして問うた。
『亀と、これはなんじゃ?なぜ絡みついておるのじゃ?』
『これは蛟、やがて龍に至らんとする幼体にございます。玄武は、蛟と神亀とが一体になった神獣。双方あって初めて神となりまする。ーふたりでひとつなのです』
『ふたりでひとつ?』
『左様。神亀は神亀として在ることはできますが、蛟を得て、初めて北方の守護となりまする。また、蛟は神亀無くば、神の姿を得ることは叶いませぬ』
貴方様は上杉の家を磐石たらしめる神亀、と和尚は言った。
『与六は、まだ幼き蛟なれど、必ずや対のものとして立派に育ちましょう』
『玄武......対の神獣』
その姿は景勝の胸内に深く刻まれた。
そして、二十歳の正月、謙信と名を変えた輝虎から、正式に官位と名字を与えられ、上杉弾正少弼景勝となった彼の傍らには、元服を済ませたばかりの樋口与六兼続がぴたりと寄り添っていた。
『ほんに仲もよろしゅうて。まことの兄弟のようにございましたな』
庵を出て謙信の名跡を継いで後も、宗主の通天孫達は、景勝に昔話をしては眉をひそめさせた。
『まことの玄武にお成りあそばしませ』
景勝は孫達の言葉に深く頷き、また春日山へと駒を返すのだった。
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