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二 謙信という男
景勝の義父、春日山城主の上杉輝虎はいっぷう変わった男だった。
戦には強い。果てしなく、というほど、重臣達が止めなければ、先陣を切って敵陣に突っ込んでいく。
反面、商才にも長けていた。越後の青苧を舟で畿内に運び、高値で取引することを思いつき、城下は越後は豊かになっていた。
それ以上に不思議なのは、ささやかにある日常だ。男の常として酒は好むが、女たちを寝所に呼ぶことはなかった。かといって、小姓たちが伴われることもない。
ふと気づけば、城内に作られた花畑の花の世話をしている。
まだ喜平次であった景勝はよくその世話を手伝わされた。大概は薬草であり、花の名とともにその効能と使い方を教えられた。
が、輝虎の趣向はそちらではなく、花を育て、愛でること自体にあるように見えた。
『花がお好きなのですね』
と訊くと、
『兄が好きだったからな』
と短く答えて、遠い眼差しをした。
輝虎の兄、晴景は喜平次の母の兄でもある。
生来、病弱で芸事を好み、戦嫌いだったという。
父の為景が亡くなった後、晴景は春日山城主となったが、混乱著しい越後の国衆を押さえられず、結局、輝虎に家督を譲り隠居させられた、と聞いた。
けれど.......。
輝虎が兄を語る眼差しは懐かしげで愛おしげであった。喜平次が生まれた頃には既に病で没していたが、兄弟は決して不仲ではなかった、と聞く。晴景が隠居してからも、その庵によく足を運んでいたという。
『わしは兄上と越後を戦から守っただけじゃ。政事は兄上に習うた』
花を摘ませながら、こっそりと打ち明けられたことすらあった。二十歳以上離れた兄は輝虎にとって、今ひとりの父そのものだったかもしれないーと喜平次景勝は思った。
今ひとつの不思議は、毎月、決まった時期に城内の毘沙門堂に隠る、という習慣だった。
信心の篤さゆえ、と家中の者達は言ったが、戦をしていた時でさえ、さっさと戻って隠ったのだ、という。
喜平次はある時、意を決して輝虎の隠る毘沙門堂に向かった。侍女を拝み倒し、夕餉の膳を奪うようにして毘沙門堂に向かった。
男にしては髭の無い色白の面、勇猛に太刀を振るうにしては細い、華奢とも思える体躯が喜平次には謎だった。
実は本当に人ではないのかもしれない。魔物なのかもしれない、と本気で思った。
「夕餉をお持ちいたしました」
薄明かりの灯る堂の前でためらいがちに声を掛けると、キィ......と低い掠れた音がして、扉が開いた。
「喜平次?......如何した?」
怪訝そうに眉をひそめる輝虎に、喜平次は意を決して言った。
「私も毘沙門天さまのお力がいただきたいのです。どうか共に祈らせてください」
輝虎は喜平次の言葉に、一瞬戸惑ったような顔をしたが、ふぅ......と小さく息を吐いて、入れ、と招き入れた。
中には、なぜか床がのべられ、微かに血の匂いがした。
「喜平次は幾つになった」
膳を傍らに置き、輝虎は唐突に尋ねた。
「十五にございます」
輝虎はふむ、と一度言葉を切り、何かを決したように言った。
「なれば、わしの子として真実を知っても口外せぬ約束もできような」
喜平次は意味が呑み込めぬまま、だが大きく頷いた。
すると、輝虎はやにわに立ち上がり、するすると衣装を解き始めた。
しっかりとした肩の下にはやや薄いが鍛え上げた鋼のごとき胸や腹、股間には紛れもなく男のものがあった。.....が、その腿には一筋、赤い滴が軌跡を記していた、
「御実城さま、お怪我を......?!」
目を見開いて慌てる喜平次に輝虎は小さく苦笑いして言った。
「怪我ではない」
「え?」
「月のモノじゃ」
「月って......」
女にそういうものがあるとは聞いたが、だがしかし、喜平次の面前には、しっかりと男のモノが存在を主張している。
「我れは『ふたなり』でな。両親や兄上にはいたく心配を掛けた」
「ふたなり......?」
輝虎は唖然とする喜平次に今一度苦笑して、脱ぎ捨てた衣を再び手に取った。
「男のモノも女のモノもある。......つまりは男でもあり女でもある。その逆でもあるがな」
「そ、それでは御実城さまが妻女を娶られぬのは......」
おどおどと問う喜平次に輝虎は笑って答えた。
「こんな身体を他人に見せられるか」
輝虎に閨事の無い理由を喜平次はその時に初めて知った。
「神仏は両性......男でもあり女でもあると寺で聞いてはいたが、肉体となれば、はて不便なものよ」
月のモノが重くてかなわん。
輝虎は小袖の襟を整えながら小さく首を振った。
「喜平次は我が子も同じ。それゆえ明かしたのじゃ。他の誰にも言うてはならんぞ」
喜平次は深く頷いた。
帰りの夜道、いまだ混乱する頭を抱えながら、だが頭上の月を見上げて、ふと思った。
ー綺麗だった......ー
完全なる美、というものをそこに見た気がした。
ーやはり御実城さまは人では無いのかもしれない......ー
毘沙門天の化身、というのが何やら本当のことのように思えた。
それから、喜平次景勝の口はなお重くなり、表情も少なくなった。
主の秘密を共有した重さと御仏を目の当たりにしてしまった感銘とを他人に覚られてはならなかった。いや覚られたくはなかった。
あの夜の事は、兼続も、半身とした腹心すらも知らない、景勝ただひとりだけの秘密だった。
あの夜の月を思い出す度に、不思議と甘やかな気持ちになる。
輝虎の死後も喜平次の胸はあの夜の夢で満たされていた。
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