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夢を見た。小学生に上がるかそこらくらいの私が祖父母のいる田舎町へ帰った時のもの。祖父母は既に亡くなっており、夢の中だけでも会えるのは良いことなのかもしれない。
でも私にとって祖父母はお互いなんでも許せるような家族ではなく、他人よりも近いのに自分をさらけ出せないビミョーな人たちだった。だから私は田舎にいい思い出もないし、里帰りはぶっちゃけ嫌だった。親も乗り気じゃなかったし。
そんな実家にいるのは気まずくて、私は里帰りの期間中は小さな集落の中を彷徨ってばかりだったわけ。
お気に入りは涼しい河原だったけど、夏だとそれなりに人の出入りも多い。私が知らない、私を知っている人たちに揚々と話されるのは嫌で、本当あちこち歩き回っていた。
夢の中でも私は集落をただ歩き回る。
『きょーちゃん』
呼びかけて私の手を引くのはぶかぶかの麦わら帽子を被った少女。私より2つ歳上のお姉さんだった。
『今日は何して遊ぶ?』
柔らかくて眩しい笑顔。
でもこれは夢。
私と彼女は仲良くなかったもの。
◆ ◆ ◆
「私、あの子の名前すらもう覚えてないんですよ。私が都会に住んでいたことが気に入らなかったのか、もう散々陰口叩かれましたからね」
昔の嫌な記憶が蘇り、私は目の前にいる全身黒ずくめスーツ女性に愚痴をこぼす。
「会うたびに舌打ちされていた相手と夢の中で仲良く手を繋いでいるんです」
「へぇ」
先生は興味なさそうにいつもの甘口カレーライスを頬張りながら窓の外を眺めていた。
「先生、聞いてます?」
「んんぐ?」
「飲み込んでから喋ってください」
カレーを口元につけているこのお姉さん、年齢不詳でなんなら本名も知らない。色素の薄い髪は柔らかくていい匂いがする。
「幼少期の友達が出てくるなんてよくある夢じゃないか」
まだカレーついてる。仕方ないので紙ナプキンで拭ってあげる。
「私だって遠い昔に死んだ知人の夢くらい見る」
「いや……こっちは多分死んでないと思いますけど」
「チビの時の夢はたしか再会の暗示とかじゃなかったかな」
レモンティーの残りカスに成り下がったレモンをぶすぶすと潰していく先生。
「……夢占いですか?」
「まぁそんなところ。きっと近々会うんじゃない? 2つ上って言うんなら大学生でしょ? こっちきてるかもよ」
そうして先生は「ほら」と一冊の雑誌を取り出した。
「先生がファッション雑誌を読むなんて意外です」
シャツもネクタイも真っ黒。
しかも365日この格好。たぶんこの人はオシャレなんて崇高な言葉知らない。
「世の中はほんと気が早いね。もうサマー特集なんだって。サマーでバケーションだね」
夏休み関係ないくせに。
先生の白くて細い指がページを雑にめくっていく。
【清楚 夏コーデ!】
そんな見出しのもとに描かれていたのは、先生とは異なり血色のいい白肌の女の子。白いワンピースに流行りの麦わら帽子――カンカン帽って言うんだっけ?
青い空にヒマワリだなんてありがちだなぁ……。
「……は?」
ワンテンポ遅れて私は勢い余って立ち上がる。
そして雑誌を文字通り食い入るように凝視する。
「それ、君の幼馴染でしょ」
もう十年近く会っていない。化粧もしていて雰囲気も違う。……でも夢の少女と雰囲気が同じ。
「田舎出身で、昔夏の間だけやってきた女の子に憧れてたって次のページに書いてあるよ」
スムーズに硬めのページをめくれなくて、私はグラスの水滴を指先につけて無理矢理めくった。
確かにいい感じに書いてある。あんなに敵対心むき出しだったのにー?
「杏ちゃんも雑誌デビューだね」
「どこが? 名前すら書かれてませんけど」
「思い出なんていくらでも改ざんされるものだよ。今の彼女にとっては君は憧れの対象で、君がいなければモデルになんてなれてなかったかもね」
「……だからって私の夢に出てこなくても」
「あったかもしれないじゃん。可能性は未来だけじゃない」
自分の分だけの伝票を持ち出した先生は平たい笑顔を近づけてきて、「思い出は楽しいに越したことないのさ」と私のおでこを突いて店を出て行った。
「え、なに。用はないの?」
私の手元に残ったのは不釣り合いなファッション雑誌とメロンソーダの伝票だけ。
「奢ってよ!」
◆ ◆ ◆
「どうだった?」
今日も奢ってもらえない気がしたので、私はおひやを啜っていた。
「どうとは?」
「夢見たでしょ?」
先生のにやにや顔がうざい。
「見ましたよ……。二人で釣りをしに行ったり、花の冠つくったり、おままごとまでしてました。やったことないのに」
幸せな夢だった。彼女は美しく優しかった。実の妹のように私を可愛がり、温かい腕で抱きしめてくれた。
……嘘じゃなければよかったのに。
「先生が見させたんですか、これ」
文字通り頭を抱える。
「もう一度言うよ。思い出は良い方がいい。その方が生きるの楽だからねぇ」
「先生はいーっつも楽しそう……愉快そう」
「杏ちゃんは見てて面白いからね。さすが私が見込んだ女だよ。よーし、今日くらいは奢ってやる」
先生は愉快に伝票を抜き取るけど、書いてあるのは甘口カレーライスとレモンティーだけ。私のメロンソーダもハンバーグ定食もない。わざとなの。
「だんだんと暑くなってきたなー」
それなら上着くらい脱げばいいのにね。先生は賑やかな繁華街を歩いていく。黒いスーツは明らかに浮いていた。
「今もそうだよ。杏ちゃんはこんな美人と歩いてるんただから、楽しい記憶をちゃんと残しておかないと」
確かに顔はめっちゃ美人だけど、この人は中身がクソでクズなのだ。
「お、いたいた」
先生はは満足そうに言うと姿を消した。文字通り一瞬で消えた。まるで魔法のように。
「きょーちゃん?」
やっぱり麦わら帽子。お気に入りなのかな。
「きょーちゃんがいる街って聞いてはいたけど偶然ね!」
ハイテンションな女は遠慮なく私の手を握ってくる。
私はいつの間にかヤンキーになっていたというのに、なぜ分かるの?
「連絡先も分かんなかったから、会えるなんて思っても見なかったよー。元気してた? まだ高校生だっけ? 相変わらず可愛い〜」
「えーと、あのこんなところで立ち話もアレですし、喫茶店とか入りません?」
人通りの多い道の真ん中で感動の再会ごっこだなんて恥ずかしい。
「なんで敬語? 昔はムギちゃんって呼んでくれてたのに」
麦わら帽子ばかり被ってたから「ムギちゃん」だった気がする。
私たちはその後さっきの喫茶店に戻り、本日一杯目のメロンソーダを頼んだ。
「わたし、やーっとあの田舎抜けられて今は東京の大学通ってるんだ」
ムギちゃんはそんなに私に会えたことが嬉しかったのか、オーダーも忘れて喋り続ける。
「……たしかにきょーちゃんのことは羨ましかったし、こっちに帰ってきた時は面白くなさそうで嫌なやつだったけどさ」
随分な言われよう。
先生、やっぱり私の記憶は間違ってないですよ。
「でもきょーちゃんに負けたかないって思わなかったら、わたしは田舎から出られなかったから」
田舎やだなぁ。
「わたしね、婚約者の頬ぶん殴って出てきたんだよ。相手もさすがにびっくりしてた」
「そりゃするでしょ。普通だよ」
彼女のやり取りもきっと十年後には曖昧な記憶になって忘れられる。
子供の頃に出会っていようと、友達なんて私にとっては希薄な存在だった。
また夢を見た。私は今度も子供だった。
ムギちゃんと電車に乗って、田舎からどこかへ向かってただひたすら移動するものだった。
ゴールはないかもしれない。
でも私は怖くなかった。
私に笑いかけるわけがないムギちゃんが車窓を楽しそうに眺めている。
――出会うのが大人だったら、友達になれていたのかな。
居眠りから目を覚ますと先生が私の顔を覗き込んでいる最中だった。
「やぁ、いい夢見れたかい?」
「……忘れちゃいました」
目の前の整った顔は何かを企んでいるかのように笑顔だった。
「昼間の女の子、きっとまたどこかで会うよ。別に昔馴染みだからとかじゃないけど、ちょっとくらい大切にしな」
「……何でまた会うとか言えるんですか?」
「私は魔法使いだから。なんでも分かるんだよ」
本当魔法にかかったみたいに、感傷的で複雑な気持ち。
ふと、先生の白い手が私の頭に触れる。
「楽しかった?」
「……そうですね、夏休みは田舎旅行をしてもいいかもしれません」
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