episode 12. side;八捕

1/6
前へ
/146ページ
次へ

episode 12. side;八捕

 you for catcher 12. Side;八捕 『決意』    二十三歳の松原友翔(まつばら ゆうと)と念願叶って婚約した三十一歳の八捕弘誉(やとり こうたか)は、ずっとずっと、友翔にプロポーズする機会をうかがっていた。    八捕は子どもの頃からモテてきた。それはもう、誰かに執着を覚える暇もないくらい過不足なく。  はじめてのキスはイギリスに住んでいた三歳の頃。よく一緒に遊んでいた近所の女の子からの、ちゅ、と子どもらしい口づけだった。その子はひとつ年下だったにも関わらず、しっかりと瞳が滲んでいたことも覚えている。おませさんだった。親愛だけではないのだと、八捕にも本能でわかった。  ミッションスクールに入る頃には、しょっちゅう女の子に告白された。告白してくれる彼女たちは、みんなキラキラしていた。  それは日本にやってきて、中高一貫校に入ってもなにも変わらなかった。むしろさらにモテるようになったと言ってもいいかもしれない。  レベルの高い進学校の中でも成績はトップクラスで、バスケ部の部長をやった。基本は優しく、でも時には厳しく。そして何より穏やかで面倒見のよかった八捕には、本気で好きだと寄ってくる女の子が多かった。大人気のイケメンのように、表立って浮名を流すタイプとではなかったが、バレンタインデーには、机やロッカーの中に、匿名で手の込んだラッピングのチョコレートがこっそりと入っているような男だった。  別れたそばから、ちがう女の子が八捕に好きだと言ってきた。大抵、学校でも人気の清純系のかわいらしい子で、断る理由もなかった八捕は、大体は頷いてそのまま付き合ってきた。  八捕だって、かわいらしい女の子にモテるのはもちろん嬉しかった。でもラッキーだと思うのと同時に、彼女たちは、どうしてそんなに自分のことを好きだと言ってくれるのだろう、とどこかで疑問を持っていた。  自分の彼女たちもそうだし、八捕の両親は非常に仲が良い。子どもたちの前であからさまにイチャイチャするようなことはなかったけれど、会話に、視線に、関係性に、ふたりの仲の良さを八捕は察していた。もちろんそれは、子どもである八捕にとって嬉しいことでもあったけれど。  次男の篤宗(あつむね)は、今は妻となった景子(けいこ)と、中等部の頃から付き合ってきた。大学までずっと同じだった篤宗とは歳が近いのもあって、恋愛事情が筒抜けだったけれど、篤宗の彼女は景子ただ一人だった。篤宗と景子の一途さに八捕は驚いていたし、すごく羨ましかった。二人が喧嘩をしている場面には何度も遭遇したし、時には仲裁したりもしたけれど、二人の喧嘩にはいつも好きが溢れていた。  八捕は、歴代の彼女たちとろくに喧嘩もしたことがなかった。  彼女たちも、弟も、両親も、周りの友達も、他の人はみんな全力な好きを抱えて生きているのに、八捕はどこか空っぽだった。  それでも八捕は、思いつく限りで彼女たちのことを大切にしてきた。それは、恋人は大切にしなければ、という自分の中の常識に基づいたものでもあったし、彼女への好意のお返しでもあった。そして何より、自分も好きを知りたかったから、心から大切だと思える人を作りたかったからでもあった。  彼女たちに同じ熱量を自分は返せていない自覚がどこかであったのだと思う。問題を追求するのは、青春時代の自分にはキツかったから、少し蓋をしていた。欠点だと気づいていたし、コンプレックスになりかかっていることもわかっていたからだ。  だから告白してくれた子の『彼氏』を自分なりにやってみても、彼女がどれだけ好きだと言ってくれても結局、相手から振られて、の繰り返しだった。  『誰にでも優しくするんだね』『私以外に優しくしないでよ』『私にだけ優しいんじゃないんですね』『優しいところが好きだったけど、もうしんどい』  こんな感じで、いつもいつも、歴代の彼女たちからは似たような言葉を言われて振られてきた。昔の八捕には、好きな人が他の人にも同じように優しくするしんどさが、まったくわからなかった。  このまま言い寄られてなんとなく付き合って、適齢期と呼ばれる年に自分も相手もなったら、社会の風に差し向けられたように、そのままどこかぼんやりと結婚するんだろうな、と八捕は思っていた。自分は両親や弟、彼女たちのように本気の恋愛はできないのだろう、と半ば諦めていた。  友翔と出会うまでは。  友翔と出会って、八捕は本当に変わった。  当時高校一年生だった友翔に慕情を向けられて本当に悩んで悩んで、そして友翔が高校を卒業するまで待って付き合うことを決めた。高校生の子どもに言い寄られて悩むこと自体に驚いたし、自分が同性との恋愛をするりと受け入れたのにも驚いた。  友翔はきっといまだに、友翔が言い寄ったから八捕が根負けして付き合ったのだと思っているだろう。でもゲームセンターで寂しそうにしていた友翔を放っておけなくて、先に声をかけたのは自分だ。先に恋心に気づいたのは、恋に敏感でより若かった友翔だけれど、本当は先に自分が好意を寄せたのではないだろうか。自分でももうよくわからなくなっているけれど、実はそうなのではないかと八捕は思っている。  慕ってくれる高校生の友翔が、可愛くて可愛くて仕方なかった。守ってあげたいと思った。でも八捕はあの時もう大人で、子どもの友翔のことを恋愛的に好きだなんて、自分の中の固い常識が許せなかったから、弟みたいに可愛がりたいのだと強引に閉じ込めたのかもしれない。  自ら鈍くなって、恋を棒に振ったかもしれない自分に、友翔は恋に気づくチャンスをくれた。  高校を卒業するまで待った甲斐が有り余って返ってくるくらい、友翔との恋は今までとまったく違った。  友翔は可愛くて、目を離すと心配で、他の強かな男に横盗りされるのではないかと、常に警戒している。友翔が甘えるのは自分だけだとわかっているから、自分は自信を持って『彼氏』をすることができる。  他の人への優しさも彼女への優しさも、今まで一緒だった自分は、彼女たちをどれだけ傷つけてきたのか八捕はやっと気づいた。  友翔への気持ちを自覚してから、一年以上も友翔を待っていた。自分はいい大人だったのに、それだけ待てたのだから、自分は相当友翔のことを気に入っているのだと、友翔と付き合えた時点からわかっていた。友翔も自分のことをまっすぐに好きでいてくれたし、今までとは違って長い付き合いになるのだろうと最初からわかっていた。  十九になる年の友翔と付き合った時には、八捕は二十七歳で、八捕としては結婚の文字が既にちらつかない訳ではなかった。付き合い始めたばかりだというのに、友翔との将来を考えていたのだから、自分も立派に浮かれていたのだ。  友翔と一緒に過ごしていけたら、きっと自分は幸せになれるだろうと思っていた。  でも将来を意識していることは、まだ十九で、八個も年下の友翔には滲み出しもしなかった。負担になるとわかっていたからだ。大学生なんて体感としてはまだまだ子どもだ。自分の将来なんてなにも見えなくて普通。家族にも恋人がいるとは伝えていたけど、詳しいことはなにも話さなかった。負担に思われて、逃げ出されたら我慢ならなかったから。  友翔が二十歳になってから、やっと家族には伝えた。本当はそれでも早いだろうと思っていた。家族が会いたがるのはわかっていた。家族に会って欲しいなんて当時の友翔に言ったら、怖がって離れていかれてしまいそうだったから。  大人と子どもが鮮明な時期に出会ってしまったから、友翔は歳の差を気にしていたし、何よりも男同士だということに強いコンプレックスを持っていたこともわかっていたから、八捕もほとんど人に口外しなかった。本当は、自分の恋人だと宣伝して歩き回りたかった。  八捕が友翔との将来を本気で考え出したのは、付き合って二年、友翔が二十歳の頃だった。友翔が自分の隣にいない将来を考えられなかった。出会った時よりも、付き合い始めた時よりももっとずっと、友翔のことを好きになっていた。一心に甘えてくれる甘えん坊な友翔には自分が必要だと思ったし、それが自分の幸せでもあった。  だから本当は二十歳の誕生日にプロポーズをしようと思っていた。大学を卒業したら結婚しよう、と。けれど八捕は考えた。二十歳だってまだまだ若くて、やりたいことも、これからの出会いも五万とある年齢だ。自分が二十歳の時、もしも八個上の恋人にプロポーズされていたとしたら、頷けるだろうか。一生に関わる自分の将来を決断できるだろうか。  ——プロポーズを断られたら、恋人も終わりになってしまうのだろうか。  たとえ断られたって、八捕は友翔と別れられないと思った。卒業してしばらくするまで待ってくれとでも言われるのならば、自分はいくらでも待つが、別れようと言われたら耐えられない。別れない。  八捕は絶対に友翔と一緒になると決めていた。  友翔には他にいい出会いがたくさんあることも、友翔ならば引くて数多なこともわかっていたけれど、全部自分がもらいたかった。  だから二十歳でのプロポーズはやめておいた。代わりにペアリングを贈ろうとしたら、曖昧に拒否されてショックだった。  友翔にも自分との将来を想像して欲しくて、半同棲の生活をした。友翔を積極的に泊めたし、友翔用の生活用品を自分の部屋にたくさん用意して、一緒にいられるように仕向けた。一緒にいることを当たり前だと思って欲しかった。  次にプロポーズを考えたのは、友翔が大学を卒業する時だった。絶好の機会だと思っていたけれど、学生しかまだ経験していない友翔に、やはり決断させていいとは思えなかった。自分の時のことを振り返ればわかるが、自分のことで精一杯で、結婚なんて考えられないだろう。  歳の差は永遠に縮まらなくて、友翔はいつまで経っても自分よりも八つも若くて。八捕は自分が経験してきた道のりを思えば思うほど、一生のことを決めさせていいとは思えなかった。しかも友翔はずっと可愛くて頑張り屋で、これ以上頑張らせたくなかった。  ——下手に負担をかけて、断られたくない。別れようって言われたくない。  友翔のことを考えれば考えるほど、八捕はいつプロポーズすべきなのかわからなくなっていた。  友翔は変わらず自分を大好きでいてくれるし、男同士で実際の結婚はできないし、八捕は結婚の形にこだわることをやめた。結婚はいつかできたらいいとは思うけれど、ずっと一緒にいるのだし、今すぐじゃなくてもいい。  ずるい考え方だとは思う。でも、恋人のままでも隣に居続けることはできるのだ。他の人にも友翔が自分のパートナーだとわかるように公的な関係を結びたい。でも、一緒にいられるのならば恋人のままでも構わない。  好きだから一緒にいられたら公的な関係になれなくても構わないだなんて、特に恋愛に悩んでいた高校時代の自分が聞いたら、「本当に将来の俺? 」と目を見開くことだろう。  八捕はプロポーズを保留する代わりに、友翔と正式に同棲することにした。「俺と住みたいって思ってくれるの? 」と少し不安そうに、そして嬉しそうに喜んでくれた友翔が可愛かった。  友翔が大学を卒業して、念願叶って友翔と同棲がはじまれば、友翔は自分との交際に不安を強めたようだった。学生が終わって社会が見えてきた友翔には、自分が女性と結婚できるように離そうとしているみたいだった。あまりに甘えてこなくなったことに八捕は密かに焦っていたし、寂しかった。強力なライバルも出てきたし、友翔としか結婚したくないのにどうしようかと思った。  そんな時に友翔が倒れて、八捕は絶対に友翔と公的な関係にならなければと思った。ある日当然倒れられても、公的には知らせてもらえないことが本当にショックだった。  ずっと調べていたパートナーシップと、養子縁組をまた調べて、どちらがいいか何度も比較して考えた。  もう待てないと思った。  絶対に逃げられたくなくて、プロポーズする前に実家へ連れて行って外堀を埋めた。あの時、既に友翔はボロボロだったけれど、仲の良い自分の家族に会えば、少しは安心してくれるのではないかという希望もあった。  まさか、景子の妊娠が友翔を追い詰めるなんて思いもしなかった。  たしかに八捕は子どもが好きだ。友翔と一緒に生きていける以上の幸せはないと本心で思っているけれど、次に欲しいものは本当は子どもだ。そのことを友翔の前で匂わせた覚えはないが、たぶん伝わってしまったのだと思う。それに、きっと友翔だって子どもが欲しいのだと思う。友翔の憧れる『家庭』の中には子どもがいるのだ。  「別れよう」と言ってきた前日の友翔は、明らかに様子がおかしかった。まるで付き合い始めのようにベタベタしてきたし、いつもなら恥ずかしがってやらないような大胆なことまでしてきた。しまいには「生でやって」なんて身を顧みないことをねだってくるから、さすがに怒った。ムキになってやるようなことではない。  そんな友翔の様子を見て、しばらくは早く帰ろうと思った。  けれど机の上にスマホをと賃貸契約書を残して、友翔は突然いなくなってしまった。思い出したかのように家の鍵だけはかかっていたけれど、上着も放ってあったし、靴はあるのにゴミ出し用のサンダルだけなかった。もしも田所から連絡がなければ、「軽装でコンビニにでも行ったのかな」なんて楽観視して、友翔を見つけられなかったかもしれない。  友翔がいなくなった時、八捕は人生最大に焦った。あのまま会えなくなったらどうしようかと本気で思ったし、血眼になって街を探した。友翔はよく一緒に行っている近所のゲームセンターにいて、自分の知らない場所に行かれていなくてよかったと、どれだけ安堵したことだろう。  友翔はまるで出会った時のように、イルカのぬいぐるみを取ろうと奮闘していた。友翔は変わらずUFOキャッチャーが苦手だ。欲しそうにしている景品は全部八捕が取ってあげたのだから、下手なままなのは当たり前でもある。  その後は、思い出して何度でも頭を抱えたくなるくらいの酷いプロポーズをした。何年もプロポーズの準備をしてきた男の言動とは、とてもじゃないが思えない。  別れると言われて、腹の底が熱くなるくらい怒りが巻き起こった。傲慢だと言われても、友翔はとっくに自分のものだと思っていたから、離れるなんて言われて、納得なんてする気もなかった。  あまりに余裕をなくして、友翔を傷つけることを言った。自分でも驚いた。嫌いなんて言わせなくてよかった。自分も傷ついただろうけれど、友翔には何倍も深い傷を残すところだった。  好きなくせに、「別れてください」と泣く友翔を見て、今プロポーズするしかないと思った。自分の持つカードではそれしか友翔を引き留められないと思った。  本当は、夢の中みたいに特別なプロポーズをしようと思っていた。絶景のレストランで指輪をパカって開けるような。  誰の理想にもなれなさそうなプロポーズをした自分に、友翔は戸惑いつつも喜んでくれた。プロポーズに驚いてもいて、こんなに長く一緒にいるのに、驚かれていることが悲しかった。  友翔だって、自分が誰よりも愛情を注いでいるのが友翔だってこと、わかっているはずなのに。  友翔の心が決まったようだったから左手の薬指に指輪をはめてあげると、友翔の顔は見たこともないくらい嬉しそうにほころんだ。同じ日に家出して、別れようと言った相手にする顔ではやはりなかった。  その顔を見て八捕は、直前の別れをかけた喧嘩も、今まで与えられた社会的な侮蔑も、年上の彼氏として待つばかりの身な自分の時間も、なにもかもどうでもよくなった気がした。そんなに自分を大好きだという顔をしてもらえるなら、友翔に喜んでもらえるのだらば、やっぱりどんなことも耐え切れると思った。  好きだと思った。心の底から、自分のすべてをかけて友翔を好きだと思った。  
/146ページ

最初のコメントを投稿しよう!

46人が本棚に入れています
本棚に追加