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数年越しのプロポーズをした八捕はやっと、友翔の実家へ挨拶に来ていた。初めての実家訪問で、友翔の今までの人生を凝縮されて見せてもらえたみたいで、八捕は既に言葉にできない感動に支配されていた。友翔の号泣に同調して出てきた涙のおかげで、友翔の母、瞳とは距離を縮められたような気がする。
「ごめんね。ひとりずつと話したいだなんてプレッシャーかけて」
友翔の父、修との思い出が詰まっているという仏壇の置かれた部屋から友翔が出ていくと、瞳は素朴に笑った。笑い方がなんとなく友翔に似ていて、八捕は温かい気持ちになる。
「いいえ。俺もお義母さんとお話ししてみたいと思っていたので」
八捕は本音を言った。おこがましいかもしれないが、友翔のことをよく理解しているのは、自分と瞳だと言えるだろう。
八捕もニコニコすると、瞳は厳しい顔つきになった。
「じゃあ早速だけど……高校を卒業してたとはいえ、まだ十代だった友翔に八捕さんは手を出したのね」
友翔に似ている目に真偽を確かめられて、八捕は手のひらに嫌な汗をかいた。仕事で大手に圧をかけられるより堪える。
「はい。すみません。二十歳になるまでは待てなかったんです。友翔は魅力的だったし、他の人に盗られるかもしれないと思うと、高校を卒業するまでが限界でした」
八捕は腰を折って頭を下げた。
高校を卒業したばかりの大切な子どもが八つも年上の男に手を出されたら、八捕が親でも問い詰めると思う。正直、今日は門前払いされる覚悟で来ていた。どの面下げて、が本音だろう。
「そう。もし遊びだったら、修さん。あの子のパパの代わりに、私が一発くらい殴っておきたいところなんだけど、こんな風に挨拶に来てくれたし、結婚するくらい本気だから許すわ……ううん」
瞳は一度言葉を切ると、丁寧に頭を下げた。
「不安定だった友翔のことを大事にして、守ってくれてありがとうございます。八捕さんと一緒にいる友翔のことを見て、たしかに心配してたの。でも見てたら、八捕さんが守ってくれてるってわかった」
「そんな……頭をあげてください」
瞳の真剣度に、八捕はたじろいだ。
瞳はまだ頭をあげてくれない。
「本当は母親の私がしてあげなくちゃいけなかったことを、きっとたくさん八捕さんにさせたわ。ありがとうございます。ごめんなさい、ありがとう」
八捕としては自分の思うがままに、友翔のことを大事にしてきただけだ。義務感で友翔と接したことなど、一度もない。
瞳は頭を下げ続けていた。一生懸命にお礼を言う瞳の姿は、友翔によく似ていて、この人は確かに友翔の母親なのだな、と八捕は実感した。
友翔は間違いなく、瞳に愛情を捧げられて育ったのだ。
だから八捕は、同じく友翔を愛する身としてもう一度、瞳に負けないくらい深く頭を下げた。敬意だった。
「こちらこそ、友翔を育ててくださってありがとうございます」
しばらく二人で頭を下げあっていると、ふと瞳が寂しそうな顔をした。
「育てたって言うより、気づけば勝手に大きくなってた、って言うのが私の正直な感想なの。子どもって、親がしっかりしてなくても勝手に大きくなるものよね。私は、友翔をあまり育ててあげられなかったわ」
「友翔はそんなふうには思っていないと思いますが」
勝手に友翔の心の中をしゃべるなんて気が引けた。でもあまりに瞳が自信なさげな顔をするから、八捕は慰めたくなった。パートナーになる友翔の母だし、瞳は全体的に友翔に似ているような気がしているから、放っておきたくない。
「そうね。あの子はいい子だから、帰りがどんなに遅くなっても、『ママ、おかえり』って母親として慕ってくれたの。——友翔が修さんを大好きだったのは八捕さんもわかったよね? 」
まつ毛に寂しさを纏わせた瞳の問いかけに、八捕は頷いた。
瞳が心底愛しそうにクスクスと笑い出した。さっき万結に向けていた表情と全く一緒で、瞳が子どもに向ける愛情の片鱗なんだとわかる。
「友翔はもうね、こんなにパパっ子いるんだってくらいパパっ子だったの。パパにべったり。修さんの病気がわかるまでの友翔はね、すごい人見知りで、甘えん坊でワガママだったの」
八捕は少し驚いた。繊細で引っ込み思案なところはあると思っているけれど、友翔に人見知りの印象はあまりない。ワガママは時々で、八捕としては可愛い印象しかないし、残っているのは甘えん坊なところくらいだろうか。
すると瞳は、ふ、と懐かしむように笑った。温かさと懺悔が共存したような、過去を懸命に生きてきた人間の微笑みだった。
「でもね、修さんの病気がわかって、友翔は変わって。……本当は、子どもとして私と修さんのことを精一杯振り回せるはずだったの。もっとワガママ言って、私たちを怒らせてもよかったはずだったの。でも、私も修さんも、病気のことで精一杯だったから、友翔は随分大人しくなっちゃって。まだ一歳よ? 子どもなのに一生懸命空気読んじゃったのよね」
瞳の清らかな頬に涙が伝う。泣き方も似ていて、八捕としては落ち着かない。
「修さんが亡くなって、友翔はパパが亡くなったことに耐えられないんじゃないかって、しばらく亡くなったことを誤魔化してたの。時間を空けたことがよかったのかは、今もわからないけど。修さんが亡くなったと友翔が認識しても、友翔が我慢しちゃうのは変わらなかった。仕事ばっかりになった私に、友翔は寂しいの一言も言わなかったの」
吐き出される瞳の言葉は重たかった。一朝一夕で紡ぎ出されたのではなく、瞳が何度も何度も考えてきた時間が透けていた。
「修さんが亡くなって、必死に働いていたらね、こんな私を好きだって言ってくれる尊くんが現れたの。友翔が小三、修さんが亡くなって四年くらい経った時だった。私はまだ修さんが好きだったし、友翔もいたから悩んだんだけど、尊くんはすごくいい人で、惹かれて付き合ったの。友翔が小学校を卒業する時にプロポーズしてもらってね。私も好きだったけど、友翔にはなにも言ってなかったし、修さん以外の人となんて友翔が嫌がるのわかってたからその時はお断りしたの」
今は旦那である尊のプロポーズを瞳が一度は断ったと知って、八捕は目を瞬かせた。
「もう結婚はしないつもりだった。修さんはね、亡くなる前に私に忘れないで欲しいって言った。他の人と結婚してもいいよ、って笑って言ってもくれたんだけど、複雑だったと思うの。自分で言うのもなんだけど、私と修さんはすごく仲が良かったの。だから、もう友翔だけいてくれればいいやって思ってた。一度お断りしても尊くんは別れないって言ったから驚いたけどね」
尊の気持ちが八捕にはわかる。それほどに好きなのだ。
「でもね、友翔が中二になって、高校はどこにするのって聞いたら、あの子高校は行かずに働くとか言ったのよ」
「え、」
八捕はつい驚きが口から漏れた。結果として友翔は大学を卒業しているし、そんな話は初耳だった。
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