episode 12. side;八捕

3/6
前へ
/146ページ
次へ
 友翔は自分のことを、できないと卑下することが多いけれど、決してそんなことはない。八捕が教える前から、しっかり勉強を頑張ってきた子の勉強習慣がついていた。 「友翔は修さんに似て頭もよかったし、私としては大学まで行かせるつもりだったの。でも友翔はお金のことを心配してたみたいで……。確かに私は必死に働いてたけど、友翔の学費は修さんと一緒に保険で用意してたし心配しなくていいって言っても、全然聞かなくて。ほら、あの子、一度言い出したら頑固でしょ? 」  瞳の困った声に八捕も、そうですね、と苦笑した。 「もう高校に行く行かないで大喧嘩。例を見ないくらい壮絶だった……。で、どうしたら高校に行く気になってくれるかなって考えてたら、また尊くんがプロポーズしてくれて、受けることにしたの。新しいお父さんができれば、友翔はお金の心配をしなくて済むかなって。尊くんと友翔が仲良くできるか心配だったけど、尊くんはずっと友翔に会いたいって言ってくれてたの。それに、私がガラケーの待ち受けにしてた友翔の写真を『あなたに似て可愛いですね』って言ってもらって、尊くんとは仲良くなったの。だから……」  八捕はなにも返事ができなかった。友翔が尊に複雑な気持ちを持っているのも、受け入れられないことで自分を責めて苦しんでいたのも察している。 「私、尊くんを友翔に初めて紹介した日のこと、忘れないと思う。友翔は笑って、『おめでとう』って言ってくれたの。『お母さんが幸せそうでよかった。大事な人がいてくれてよかった。俺もきっとずっと一緒にはいられないから』って。尊くんの前では。でも家に帰ったら、夜中にベランダでこっそり泣いてたの。私は友翔に進学してほしくて必死だったけど、部活にも遠慮して入らず家事を必死にやってくれてた友翔が、私との生活を大事にしてくれてたのわかってたはずなのにね」  ありがたいことに両親は健在で、弟が二人いる八捕には、母ひとり子ひとりの重さは想像することしかできない。 「尊くんを紹介した次の日、中学の担任の先生から電話があったの。友翔が鍵のかかった屋上の入り口の扉に体当たりしたって。理由を聞いてもなにも話してくれないって」  瞳が盛大に泣き出した。たったひとりの息子の絶望を知ってしまった母親の気持ち。八捕が知るよりも、もっともっと不安定だった頃の友翔の気持ち。八捕も思わず鼻を啜った。 「やっぱり再婚をやめるかすごく悩んだ。でもやめたら友翔はさらに気にしちゃうんじゃないかって。それに、そしたら絶対に高校には行ってくれないって。だから予定通り結婚した。結婚したら友翔はゆっくりと尊くんを受け入れてくれたし、高校に行くって言ってくれた。私は仕事をやめて家のことに専念したら友翔は昔みたいに笑ってくれるようになって、嬉しかった。失くさせちゃったこども時代を取り戻させてあげたかった」  私立の中高一貫校へ行って、大学進学を一度も疑わずに生きてきた自分とは、友翔はなにもかも違う。きっとその日その日を、自分の何倍も必死に生きてきた。 「友翔が昔ね、兄弟を欲しいって言ったことがあったの。寂しかったんだなって。それに私と修さんも元々は子どもは二人は作る予定だったから、兄弟は作ってあげたかったの。私もお兄ちゃんがいたけど、随分とお世話になったし」  悲しげな過去形が気になって、八捕は「お兄さんは? 」と聞いてみた。嫌な予感がした。 「友翔が小三の時にね、お兄ちゃんの家族ごと事故に遭って亡くなっちゃった。あれも応えたわね。修さんの親もみんな亡くなってたし、私の両親も友翔が生まれる前に亡くなってて、生きててくれるのはお兄ちゃんだけだったのに。友翔はあの時、『死』に対してトラウマみたいになってたから、お兄ちゃんごと覚えてないかもしれない。物語の中に出てくるのもダメでね」  八捕は閉口した。親戚もいなかったら、友翔と瞳は文字通り二人きりだったのだろう。 「尊くんはなにも言わなかったけど、尊くんも自分の子どもが欲しいだろうって思って。尊くんは初婚だったし。だから友翔に兄弟を作ることにしたの。ちょっと歳が離れちゃったけど、仲良くして欲しかった。友翔が男の子だったから、万結が女の子で、両性とも育てられるなんて嬉しいって思った」  瞳はそこまで言うと、遠い目をした。 「万結はもちろん可愛いし、私にとっては友翔も万結も同じように大事な子どもよ。産めてよかったって、二人とも私のところにきてくれてありがとうって思ってる。でも……友翔に子どもの時間は取り戻させてあげられなかったの」  八捕は昔、『あなたたちは三人いるんだから、私たちが死んでも仲良くするのよ。一生兄弟で、仲間なんだからね』と、母に言われたことを思い出した。物心ついた時から弟がいたから、八捕にとって兄弟がいるのは当たり前で、なんの疑問も持ったことがなかった。親としては自分達が死んだ後を心配していたのだろうか。 「だからありがとう。友翔が一番欲しかったものを、八捕さんは渡してくれたのね」  生まれた時からずっと友翔を育ててきた瞳には、悔しいけれど敵わない。自分だって友翔を大事に大事に思っているけれど、瞳だって友翔のことを大事に大事に思ってきたのだ。 「友翔がご両親にすごく大事に育てられたことがわかって、俺、よかったです。すみません、あまり言葉が出てこなくて」  やっと捻り出した言葉は、なんの変哲もない言葉だった。壮絶な友翔と瞳の過去を知って、もっと上手に言葉を出せたらと思うけれど、育ててもらってありがとうしか、最終的には出てこない。 「それにね、友翔が大学に進学するときに一人暮らしを許可したのは、八捕さんがいてくれるんじゃないかってなんとなくわかってたからなの」  瞳は濡れた目のままで、可愛らしく笑った。そうしていると四十代にはとても見えないし、本当に友翔によく似ている。友翔もこんなふうに年齢不詳で歳を重ねていくのかな、と八捕は想像した。 「ほら、あの子不安定だったし、なんだかんだ言っても寂しがりやでしょ? 一人暮らしなんて私も尊くんも反対だったの。そりゃ家事はできるけど、友翔ひとりだとご飯とか蔑ろにしそうじゃない? 元々あまり食べる子ではないし」 「そうですね」  母親の的確な予想に、八捕は笑うしかなかった。一人暮らしをしていた頃の友翔は、放っておくとろくなものを食べなかったから、家に誘ってよく一緒に食べていた。八捕が作った料理をタッパーに詰めて持ち帰らせたことだって何度もあった。次会うときにタッパーを持ってきてね、と言っておけば友翔はちゃんと食べてタッパーをしっかり洗って持ってきた。 「でも八捕さんは、面倒見が良さそうだったから平気かなって。本当にありがとうございました。ずっとあなたに会いたかったわ」  挨拶にもなかなかこられなかったのに、信頼してもらっていたのだと気づいた。母親である瞳から見ても、友翔は自分を信用していたのだとわかって嬉しい。見守る力の強さに、八捕は圧倒された。  これからは瞳に代わって、自分がこんな風に友翔を守っていきたい。多少のことには動じずに、友翔を愛して生きていきたい。 「ありがとうございます。俺も、ずっと友翔を育てて下さったお義母さんに会いたかったです」  八捕が真面目に誓うと、瞳は本当に嬉しそうに笑った。 「友翔は見る目があるわね。八捕さんを連れてくるなんて。あー、それにしても寂しい。友翔も家を出て長いし、大して何かが変わるわけでもないのに、正式に結婚するって言われると、とっても寂しいものね。でも嬉しい。親って不思議」  親である瞳がおかしそうに呟くので、八捕もリラックスして笑った。 「友翔、大して体型も変わってなかったし、ちゃんと食べさせてくれてるのね。ありがとう。あの子、なんかあるとすぐ食べなくなって大変でしょ」 「そうですね。気をつけるようにしています」  つい最近まで実はガリガリに痩せさせてしまいました、とは言わないでおくことにした。今更、母親に心配をかけることもないだろう。
/146ページ

最初のコメントを投稿しよう!

46人が本棚に入れています
本棚に追加