episode 1. side;友翔《ゆうと》

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you for catcher①    side;友翔(ゆうと)      もう勘弁してくれよ、とバイトから帰宅した松原友翔(まつばら ゆうと)は、外着のパーカーのまま巨大なビーズクッションにだらりと寝そべってスマホを片手に握りしめた。  彼氏の八捕(やとり)が友翔のために、と買ってくれたこの流行りの青いビーズクッションは、友翔の体を余すことなく包み込んでくれる。体重の全てをクッションに任せていると、安心感を得ることができる。まるで八捕に抱きしめられているようで、友翔は途端に八捕の声が聞きたくなった。  友翔はスマホをタップして、仕事中だったら迷惑だよなと、メッセージアプリの一番上に表示されている『八捕弘誉(やとり こうたか)』の名前とにらめっこをした。  友翔は、クッションに寝そべる前に入れたお風呂の湯が沸き立つくらいの時間、スマホに映る自分の疲れきった顔を見つめることになってしまった。  今年大学を卒業したばかりの二十三歳とまだ若く、小柄で人懐こい印象と相まって、可愛い、と男女問わず言ってもらっているはずの友翔の大きな瞳は、半分以下になって項垂れていた。  自分の疲れきった様子に追い討ちをかけられて、ダメだ今すぐ八捕チャージをしないと死んでしまうと思って、通話開始ボタンを押そうとした。  でも、女の子でもないのにかまってちゃんでうざいよな、と怖くなって指を引っ込めた。  その時、アパートの玄関からガチャガチャと扉を開錠する音がした。 「ただいま」  八捕の少し低い、落ち着いた声が聞こえた。  友翔は驚きのあまり宙ぶらりんになっていた指を滑らせて、『八捕弘誉』のトークルームで通話開始ボタンをタップしてしまった。  八捕の足音とともにアプリの着信音が近づいてきて、友翔は慌ててキャンセルボタンを押した。 「ご、ごめん。間違えて電話かけちゃった。早かったね? 」  着信音が止むと同時に友翔の前に到着したスーツ姿の八捕に、友翔は顔を引き攣らせて言った。 「え、うん。大丈夫だけど」  八捕はそう言うと、クッションに座った友翔をまっすぐに見下ろした。  八捕は百八十センチ近い高身長に、いかにもエリートで仕事ができそうな雰囲気。実際に勤めている銀行では、融資や保証などを行う貸付の部署で責任者を任されているほどだ。  それなのに穏やかな顔つきの八捕は、出会った七年前から格好良かったけれど、三十歳を過ぎてますます深みを増したように思える。  年を取るほどに味の出る良い男というのは、八捕のための言葉だろうなと思えるほどに、友翔にとって八捕はずっと好みの男だった。  そんな八捕に見つめられると、もう五年も付き合って、同棲をはじめて七ヶ月も経っているというのに緊張してしまって、友翔はクッションの上で正座した。視線を合わすことができなくて、自分の膝を見つめる。  友翔が膝を硬くすると、頭上から八捕のはは、という小さな笑いが聞こえた。  友翔はそれだけで、ななめだった機嫌がなおりそうになってしまう。 「……おかえり」  友翔は返せていなかった挨拶を思い出して言った。 「うん。ただいま。なんかあった? 」  微笑を浮かべた優しい瞳のままで八捕は聞いた。 「ううん。大したことじゃないよ。夕飯の準備はじめるから着替えてきたら? あ、お風呂なら沸いてるけどすぐ入る? 」  友翔はバイトで起こった憤りを隠して、クッションから立ち上がろうとした。  仕事をバリバリこなしてきたスーツ姿の八捕を見て、たかがバイトの愚痴を言うのはなんだか格好悪いような気がしたし、このままいつも通り八捕と過ごせば、自分は自然と怒りが収まるような気がしたから、友翔は言わないことにした。  それに、疲れて帰ってきただろう八捕に負担をかけたくないと思った。外では重役を担って肩肘を張っているだろう八捕には、家にいる時くらいはリラックスしていて欲しい。  できるだけ、自分が癒してあげたいとも友翔は思っている。  思っているだけで、癒されているのはむしろ自分だけのような気がするから尚更。 「友翔」  けれど、八捕は有無を言わさない年上らしい声だけで呼び止めると、その場にしゃがみ込み、確信めいた瞳で友翔の揺れる瞳を覗き込んだ。  八捕にはきっと全部バレていて、どうせ逃れることはできないとわかっているのに、友翔は往生際悪く瞳を逸らせた。 「なにがあったの? 言いなさい」  八捕は学校の先生みたいに言った。  友翔が見つめ返した八捕の瞳はいつも以上に暖かな色を宿していて、その瞳は自分を甘やかすための瞳だと友翔は知っていた。  友翔が思い詰めていると、友翔は隠しているつもりでも必ずバレてしまって、こんな風に吐き出させようとしてくれるのだ。  友翔は八捕に優しくされるのに弱くて、結局口を開いてしまう。 「ほんとう、大したことじゃないんだけどさ。今日バイトで無茶苦茶なシフトにされて。  俺の働いてるバーガー屋、一キロくらい先の所にも同じ店舗があるじゃん?   そっちのベテランバイトが急遽来れなくなったから、二時間ぐらいずつで店舗間を行き来させられてさ。  しかもヘルプ先の方の新人の子がテイクアウトのお客さんに商品の入れ違い起こしちゃってさ。お届けに行ったりとかして。ちょっと大変だったんだよねえ」  友翔は顔が歪みそうになるのを堪えるために、にへら、と間抜けな笑い方をした。 「え、今日雨降ってたよね。友翔が歩き回ったってこと? 」  八捕は珍しく眉間に皺を寄せはじめた。  穏やかな八捕は滅多に怒ったりしない。 「あーうん。まあ、そう。今日他に学生しかシフトにいなくてさ。さすがに行かせるわけにいかないじゃん? お届けのお客さんの家もバス使うほどの距離でもなかったし」  友翔はなるべく明るく言った。  すると逆効果だったのか、八捕はみるみる眉間の皺を深めて鬼のような顔をし出した。普段が柔らかい印象なだけに、厳しい堅物な印象が深められていく。 「それ、絶対友翔の仕事じゃないよな。社員が在住してないなんておかしいし、おかしな穴埋めをバイトの友翔がするのは契約外。それにまだ友翔だってあそこで働いて半年ぐらいの新人じゃないか。学生じゃないって言っても、学生を卒業したばかりじゃないか。  そもそも、休憩もろくに取れなくて十三時間勤務とか法外な勤務時間にされたりとかして……大変だったよな」  八捕は冷静に現状を分析すると、怒った顔のままで、友翔の頭を優しく撫でた。  友翔は八捕が怒って焦っているはずなのに、労ってもらえたことが、心配してもらえたことが嬉しくて、自然と顔が緩んだ。 「バイト変えたらどう? ……なんならプログラマーの仕事に専念してもいいんだし」  八捕は腕組みをしながら、少し言いにくそうに話した。  八捕は暗に『自分が養うから友翔は好きなことしてていいよ』と言ってくれている。  高校生の頃にゲームを好きになってゲームのプログラマーになりたくて、情報系の大学に友翔は進んだ。大学四年時の去年は、ゲームプログラマーを本命に就活をしていたけれど、ライバルは多く優秀で、友翔が内定をもらえたのはゲームとは関係のない小さな会社の営業職のみだった。  友翔はゲームプログラマーは諦めて、内定をもらえた会社に就職しようとしていたのだけれど、「やりたいならフリーでやったら良いんじゃない。足りない分はバイトで賄ったりとかしてさ。諦めない方がいいよ」と、八捕が言ってくれたのだった。  その時には、友翔が大学を卒業したらふたりで同棲することが決まっていたから、八捕は「金銭的にも支えるよ」と言ってくれているのと同義だった。  諦めきれなかった友翔は八捕の言葉に甘えさせてもらって、今は月に数本くるプログラマーの仕事と、ハンバーガーショップのバイトで生計を立てている。  その中でも、家賃の負担の割合だとか、ちょっとしたご褒美代だとか、さりげなく足りないものだとか、八捕は友翔に気にさせないように負担してくれているのだ。  友翔はできるだけ対等な額を出そうと、お金を管理している八捕に捻出して渡しても、今月余ったから、と結局ほとんどの額を戻されてしまう。  八捕の気持ちは嬉しいけれど、もう既におんぶに抱っこなのにこれ以上甘えられない、と友翔は首を軽く横に振った。 「ありがとう。でも、大丈夫。もう少し今のところで頑張ってみるよ」  友翔は八捕に頭を撫ででもらっているままで、笑って言った。  八捕は一瞬だけ苦々しい顔をしたけれど、友翔の笑った顔を見つめて一緒に顔をほどいた。 「そう? あんまり無理しないようにね。じゃあ今日は出前でも取りますか。友翔なにが食べたい? 」  八捕はだんだんといつも通りの穏やかな顔に戻っていく。 「ありがとう。え。いいよ。すぐにできるしちょっと待ってて」  友翔は今度こそクッションから立ち上がった。 「友翔、今日は疲れてるでしょう。なんか頼もうよ。それとも俺が作ろうか? 」  八捕がキッチンに入った友翔の背に向けて声をかけてくれる。 「大丈夫。八捕さんこそ疲れてるんだから先にお風呂でも入ってきたら? その間に作っておくし」    友翔は冷蔵庫を覗きながら言う。  金銭面では負担をかけているのだから、家事くらいは自分が完璧にやりたいと友翔は思っている。  数秒間の沈黙の後、八捕からは言いたいことを飲み込んだような 「わかった」  が返ってきて、隣の寝室に着替えに行ってしまった。  友翔はコンロの火を点灯しながら、はあ、とため息をついてしまう。  今日も八捕に気を遣わせてしまったな、と思う。  八捕は友翔の男のプライドを尊重してくれているのか、特に金銭面のサポートを申し出る時に正面きって言ってくることはない。いつだって、今日のように婉曲して伝えてくれるのだ。  そもそも。そもそも八捕の相手が自分のような男ではなくて、相手が普通に女性だったら、八捕はこんな気遣いをしなくて済んだのに、と思う。  相手が女性なら「俺が養う」の一言で、相手の女性はなんのしがらみもなく受け入れてくれるはずだ。「結婚しよう」なんて八捕に言われた日には、喜ばない女性はいないだろうと友翔は思う。  自分はゲイだが、八捕は本来ノーマルで、自分と出会わなければ。いや、自分が八捕を手離せていれば、三十一歳の八捕には今頃可愛いお嫁さんがいてもなにもおかしくはないし、子供がいてもおかしくはないだろう。  八捕の人生を考えると、早く手離さなくちゃいけない。  八捕のことが大好きだけれど、自分には本当にもったいないよなあ、と友翔はずっと思っている。
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