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檀上で異動、退職する教師が一人一人挨拶をする。
熱い言葉を送る先生もいるなか、曽我先生はとてもシンプルな挨拶だった。
でも最後に俺たちの学年に向けて、“高校生活最後の一年を楽しんで下さい” とメッセージを残してくれた。
放心状態の俺は、離任式の間中ずっとただその人ひとりを見ていた。
うるさいほど心臓が音を立てて、知らない間に口の中が乾いて、目を逸らすことができない。
全員が挨拶を終え、足元に視線を落とすようにしていた先生がふと目線を上げた時、目が合った気がした。
でも遠くて、見慣れないネクタイ姿や整った髪の先生が遠くて、それは気のせいだと感じてしまう。
最初はそこが一番の特等席だと思っていた教卓真正面の席の俺と、教壇に立つ銀フレームメガネの先生との距離。
それが、不器用に絆創膏を貼ってくれたり、くしゃっと頭を撫でてくれたりした、あの応接セットの向かい合う椅子の距離まで近くなったのに……。
体育館のステージの上に立つ先生と、並ぶ生徒の列の中立ち尽くす俺との距離が、今までで一番遠く離れていた。
でも。
もっともっと遠くに行ってしまうなんて、そんなの俺――。
やっぱ職員室でもいいからどうしても先生と話しがしたくて、座っていた椅子から立ち上がる。
そのまま理科室を飛び出すようにして廊下に走り出た時──、
「オッッ!……と。おいおい」
衝突しかけた広い影。目の前に立つ人の、さっきより緩めたネクタイが視界に飛び込んだ。
鉢合わせしたその人は、廊下に飛び出してきたのが誰だか分かると、フッと表情を崩して長身をかがめ苦笑混じりに呟く。
「まったく、お前は……」
そして顔を近づけると、いつかみたいに俺のことを注意した。
「ろ・う・か・を・は・し・る・な」
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