ピアノ上手の星野さん

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ピアノ上手の星野さん

「第二音楽室は……っと」  東棟の4階の端にある第二音楽室までつらつらと少年は歩いていく。途中から展覧会の絵を鑑賞している少年はそれに聞き入りながら、階段を2つ上がり、空中廊下を経て、更にその先にある教室まで。なかなかに遠かった。遂に辿り着いた音楽室の扉はキエフの大門だった。 「…………待つか」  防音壁を介して聞こえる圧倒的なグランドフィナーレに心の中で拍手をし、その手は音楽室の扉を叩いた。  どうぞ、という声を確認してから扉を開けた。  中にいたのはクラス委員長の星野だった。星野は予想外の人物の来訪に驚いた様子だったが、すぐに顔を直して話しかけてきた。 「何か用事ですの?」 「ああ。と言っても星野さんにじゃなくてこの教室に用事があるんだがな」  少年は壁のポスター、コンセント、電灯、天井、ピアノ、机、椅子など教室のあらゆる場所に目を走らせると、僅かばかりの違和感を覚えた。 「教室に用事だなんて、不思議なこともあるのですわね」 「それはこっちもだ。星野さんがそんなにピアノ上手いなんて知らなかったぜ」 「それはおかしいですわ。わたくしがピアノコンクールに出ているのを知らないなんて」  クラスでもよく目立つ星野は良い所のお嬢様といった印象に、行動力と決断力を兼ね備えた人気者。クラスカースト上位でありながら、分け隔てなく誰にでも優しさを振る舞えるのは特に好印象だ。  清楚と言うよりは少し派手な印象を受けるが、外見も真理愛にも引けを取らない美少女で、全校男子の好感度も高い。真理愛より大きいのが差別化するポイントにもなっている。極めつけに少年の席の隣である。  しかして少年は彼女に微塵も興味がなかった。  むくれた星野は椅子に座り直すと少年を柔らかく睨みつけた。目つきは少しキツイが心根はとても穏やかで優しいのだろう。怒った顔が全くと言っていいほど様になっていない。 「そうだったのか。……オレの用事とは全く関係ないんだが、ひとつ気になったことがある。……低い方から順に順番に打鍵してもらっていいか?」 「構いませんわ」  突然の少年の注文にも躊躇なく対応してくれる。女神かな?  ピアノの音が低い方から高い方へ流れていく。流れが真ん中あたりに差し掛かると少年はそれを止めた。 「それ……の一つ前、いや、もう一つ前か。そう、それ!」  星野が目を丸くしている。ただ、何を言ってるんですの?とその目が訴えている。 「そのキー、なんかノイズがある」 「???? 別に普通ですけれど」  少年が鍵盤を覗き込んで、隣のキーと叩き比べると、打鍵時に僅かな引っ掛かりがあることが分かった。その引っ掛かりから発生する音が少年にはノイズに聞こえていた。 「なんだこれ……黄色っぽい樹脂みたいな……? 接着剤か? …………分からねえけどメンテナンス依頼したほうがいいな」 「よく気が付きましたわね……外から聞いてただけだと言うのに」 「耳は多少いいからな。そういや、星野さんはここをよく使ってるのか?」 「そうですわね……不定期に週2回ほどですわ。他には合唱部や吹奏楽部や軽音部が第一音楽室と交代で使っていることもありますわ」 「なるほどな。因みに次はいつ演奏する予定なんだ?」 「金曜日の予定ですわ」 「金曜か……残念だが金曜は用事があったな。その次、聴きに来てもいいかな?」 「構いませんわ。で、用事は済みましたの?」 「いや、今日はだめみたいだからまたにするわ。じゃあな」  挨拶もそこそこに音楽室を出ていった。あまり不審がられてもよろしくない。
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