自転車なくした栗原さん

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「依頼者は栗原理沙(くりはらりさ)、1年4組。ラクロス部。要件は自転車を探すこと、だそうだ。昨日の夕方、駅前に用があった彼女は駐輪場に停め、1時間ほどで戻ると盗まれていた。なんとか見つけてほしいそうだ。で、今日、オレは現場を見に行って、取り敢えず証言に矛盾はないことは分かった」 「ふぅん……学園生活にあまり関係ないようだけれど……」 「この5つのカメラの映像でいいのかな」 「もう見つけたのか」 「全部同じところのカメラ映像だからね。一元管理されてるみたいだから芋づる式だったよ。パスもないし、ダウンロードだけがちょっと問題だけど」 「落としきるまでどれくらいかかる?」 「4時間くらいかなぁ」 「平行じゃなくて順番に落とせないか?」 「できるよ」 「それで頼む」 「はいはーい」 「と、いうことは、カメラで彼女の姿を確認して持ち去った人間を割り出す、ということでいいのかしら」 「まぁ、そうなるな」 「かなり難しいのではなくて?画質も粗い上に距離もあるから容易にはできないと思うわ」 「ま、絞り込みに関してはオレの腕の見せ所ってやつさ」  先程まであれほどぐったりしていた少年とは思えない堂々とした振る舞いに、真理愛はやれやれ、といった様子で肩をすくめた。  少年は慣れた環境の中に居るとすぐに回復する。 「みなさーん、ご飯ですよぉ」  大きな目を輝かせてダッチオーブンを運んできた少女はエプロン姿がよく似合っていた。可愛らしいピンクのミトンが包むそれは陽炎が見えるほど昂ぶっている。  蓋を取れば弾ける水音と立ち込める蒸気に混ざって、サフランとムール貝、エビ、パプリカの織りなす鮮やかな香り。 「いつも悪いな」 「いいんですよぉ。私、好きですから。……あっ、あの、好きというのは、その、りょ、料理のことで、えっと」 「いや、それでも好意に甘えているには違いないだろ」 「おぉ~アツアツだねぇ」 「そうね。火傷に気をつけないとね」  不揃いな杏奈と真理愛二人の視線。どちらがどちらを指しているのか。 「あっ、あの、ポトフもありますよぉ」  話をごまかそうとポトフの入った鍋を持ってくる彩愛。透き通った黄金のスープに、芯まで柔らかなジャガイモ、肉汁あふれるソーセージ。素材は少なく作り方もシンプルでありながら、奥深い味わいを見せる絶品だ。  彩愛を連れてきていいとはこういうことだ。料理好きがいるとわびしい食材がバグったんじゃないかと錯覚するのだ。  元々、親同士が大学の同級生であったこともあり仲が良く、幼少の時から交流があった。少年の父は杏奈が産まれた時期に事故で他界、真理愛たちの父は行方不明。  いつしか母親同士で互いの子供の面倒を見るようになり、今もこうして子供同士が共同で生活することも多い。 『次のニュースです。小惑星探査機、ヤマセミ4号が採掘を終え地球へ向けて出発しました。帰還は3年後となる見込みです』 「…………。父さんが生きてればな……」 「そうね……でも、あの探査機の名前は君がつけたのでしょ?」 「つけたってほどじゃねえがな。オレがガキの頃、その小惑星探査機、コードネームはハヤブサだったらしいんだが、仕組みを父さんから聞いた時『獲物を分捕るハヤブサよりも、川に飛び込むヤマセミみたいだね』って言ったら名前がヤマセミになったってだけだ」  父さんは宇宙開発機構の研究者だった。小惑星探査に携わっていたが……。 「長くなるからその話やめやめ!せっかくの料理が冷めちゃうよ!」  そう、だな。と、少年は口を噤んだ。杏奈は辛気臭い雰囲気が大嫌いなのだ。しかも、自分が知らない死んだ父親の話。昔から彼女はその話にあまり関わりたくない様子だった。  そのことをすっかり忘れていた。すまない、と心の中で杏奈に謝ると少年はパエリアを口に運ぶ。相変わらず美味い。  美味い、としか形容できない極上の味だった。どんな言葉でもこの味を表現するには至らない。ありとあらゆる言葉を用いたとしても、これを示すに足りない。故にただ一言、美味い、に回帰するのだ。  続いて黄金色のポトフを口へ導く。含んだ瞬間ホロけるジャガイモ、みずみずしさ弾けるソーセージ。やはり美味い。 「今日のポトフ、ローレルが4枚入ってるとは……奮発したな。」 「また当たりです!そんなに味違いますか?」 「味というより匂いだな。スープはもちろん、肉に付いている香りが違う。味も、いつもより塩が若干薄いな」 「う~ん、わかんない!」  杏奈は『美味しい』しかわからないので仕方ない。真理愛は眉間にシワを寄せて、3回ゆっくり味わってみるも首を傾げる。 「塩が薄いのは何となく分かるような気がするけれど……ローレルの違いは分からないわ」  味と香りを堪能し終えて夜が始まる。食後の少年は頭痛薬を二粒飲み込んで作業に備えた。  少年は妹からデータを受け取り、3時間分の映像を6倍速で視聴する。見終わったら次のデータがやってくる。そうして5箇所のカメラ映像をひたすら周回する。  気付けば日付が変わろうとしていた。 「思ったより深刻だなこれは……」  似たような映像を見続けて少年は嫌気が差してきた。シャワーでも浴びて気分を変えようと思い、部屋を出ると、廊下の先に見える居間には妹が転がっていた。ヘッドセットをしているところを見ると、VRゲームに興じているらしい。隣で真理愛も同じ格好をしている。杏奈に用があると言っていたのはこれのことだった、ということか。 「生徒会長様もたまには息抜きしないと、だな。大事なことだ」  少年はあの二人が仲良くしている様を見るのが好きで、その光景を見る度に心が穏やかになるのを感じていた。クールで堅物とも言える生徒会長とエネルギッシュでやかましい妹とが互いに仲良くする様が不思議でありつつも自然体に思えて、だからこそだろうか。見ているだけで癒やされる。そうして穏やかになった心は次の瞬間、全力疾走と同じくらいに跳ね上がった。  浴室前の脱衣所のドアを開けると、彩愛が着替えの真っ最中だった。  少年は放心状態のまま腕だけ動かして勢い良くドアを閉め、今起きたことをなかったことにした。  完熟メロンに一瞬目を奪われたが、全力疾走した時よりも激しく打ち鳴らす心臓の声が勝ったのだ。  ふぅ、と一息ついて振り返ると生徒会長様の顔が目の前にあった。  少年、散る。 「……何してるの?」 「あっ、ああ、シャワー浴びようと思ったんだが、…………バスタオルとか、忘れて、……てな」  嘘はついていない。切り抜けられるか? 「そう」  そう、と言って真理愛は少年を押しのけて勢い良くドアを開けた。 ―――――――無慈悲だ。  そこには既にパジャマに着替えた彩愛の姿があった。 「お姉様……?どうか……しましたか?」  濡れた長い髪から滴る水をタオルで拭きながら、キョトンとした顔で彩愛は姉を見つめている。大きな瞳が無垢に真理愛を包んだ。 「なんでもないわ」  姉は脱衣所の端から端まで目を回して、何事もなかったかのように静かに扉を閉めた。  振り返って少年と顔を合わせると少し含みのある笑顔をして居間に戻って行った。  助かった……のか?  安堵して暫く動けずにいると後ろのドアが開いた。パジャマ姿の彩愛が潤んだ瞳でこちらを見ている。 「済まねえ……。なんて言って謝ればいいかオレには……」 「い、いえ、ちょっと驚いただけで、その、私は平気です。でも、そんなに謝りたいなら……」  彩愛はくっと堪えて、そして最大限振り絞った勇気で、自分の気持ちを言葉に出した。 「日曜日、私とデート、してください!」 「分かった」 「えっ」 「ん?」 「い、いいいいえ、その、あの、そんなにあっさりと承諾してくれるとは思ってなくて、……楽しみにしてますね」  彩愛はパタパタと居間へ駆けて行った。 「下準備をしておくか……」  スマートフォンを取り出してダイヤルする。日付変更前なら、相手は紅茶でも飲んでいるだろう。  そうして、少年の夜は更けていく。
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