自転車なくした栗原さん

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 そろそろいいか。  少年はメッセンジャーアプリで指示を出すと、3分も経たぬうちに相談室のドアが開いた。 「クックック……我を呼び覚ますとは……斯様な呪文で操れると思うたか!」 「ふっ、御託は結構だ。貴様とオレと、どちらの力が勝るかの証明に、もはや闇など不要だ!」 「よかろう、語れ、詠め、謡え、この世の理を!」  このノリについていくのはそう難しいことではないが、色々と面倒だ。だが、それを差し引いても、コイツは真理愛以上に有能かもしれない。  桐谷影男、少年と同じクラスの2年2組。写真部などという実在しない部活動をしている、ぼっちで変態の中二病だ。タイプは違えど顔はさっきのイケメンと互角に戦えるし成績も悪くない。そこらの運動部員よりよっぽど運動神経もスタミナもある。  だが変態だ。  その有り余る運動神経を使って、窓の外から、木の上から、屋根の上から、作品という名の盗撮写真を大量に作製している。  盗撮と言っても女子更衣室や女子トイレの写真はかなり少ない。  告白現場、いじめ現場、不純異性交遊などなど……そういった、人に知られたら恥ずかしいとかまずいとか、そういうシーンに興奮を覚えるタチの変態らしい。曰く、究極の覗きである。写真は人に見せることを目的とせず、自分一人で発電するために使われるらしい。  本物の変態だ。 「1年4組の、栗………いや、一昨日の校内の5時前後の写真、自転車置き場あたりの……持ってないか?」 「我が知る理の導きに境界などないことは貴様も承知のはずぞ!見るがいい!この圧倒的な力を!起動せよソクラテスの鏡!ハッハッハ!!」  スマートフォンに示された4桁を超える画像を高笑いしながら見せびらかす変態。先輩に殴られてる運動部員や何かを咥えようとする女子生徒や仕事中の教師がエロサイトを閲覧している写真まである。  マジモンの変態だ。これで興奮できるのか?  少年にとっては2枚目の画像でしか不可能だった。 「ところで貴様、写真を見てどうするつもりだ?よもや……良からぬことを企んでいるのか?」 「それはない。オレは私欲のために動かぬ。かと言って社会的正義のために動くわけでもない。目には目を歯には歯を、悪には悪を闇には闇を。力を持つものは一度でも思うはずだ。その力を“ただ“振るいたい、とな」 「フン、貴様が唯の俗物でないことはこの我が一番良く知っている……飽きるまで見るが良い」  そのマジモンの変態の写真を見る少年もまた変態だが、数枚の写真を眺めて目的を達成した。 ――――見つけた! 「…………。用事は済んだ。もう帰っていいぞ」 「クククク……そう邪険にするな同志よ。貴様と我の仲ではないかぁ?ん~?」  ぼっち生活を満喫してはいるが、二人の間には心通う何かがあった。故に友と呼ぶには疑問符を付けざるを得ないが同志と呼ぶには感嘆符が付く、そんな間柄だ。 「禁じられし札のために血を流した者が得し黒々たる聖水、貴様も味わってみるか?」※1 「民を救う白き命の源をたっぷりと加えることだな……クックック……」※2 「貴様もやはりこの惑星の裏側を支配し得る者……その者こそがこの聖水を深淵へ誘う、と言う訳か……」※3 「ほほう……これは……黒炎竜の化身である我が闇の力を得るのに相応しい飲み物だな……」※4 「命の一滴を喰らっているんだ。ヒト族の魂を喰らっているようなもの。貴様の魂にはさぞ沁みるだろうよ……」※5  桐谷は丹念に味わったコーヒーを平らげ、その器を静かに置く。言動と一致しない優雅な振る舞いは、彼の家庭状況をよく表していた。 「ふむ……よくできた聖水だった。また会おう、いずれ世が闇に包まれる時、盟約の扉の向こう側でな!」※6 「ああ。その時まで。貴様、死ぬなよ」※7 「貴様もな」※8 『Zwoa, Oans, Pfiatdi』 と、二人のみぞ知る別れの挨拶を交わし、桐谷は相談室を後にした。※9 「さて……自転車は見つかったが…………」 『自転車は見つかった。部活が終わったらその格好のままその場で待っていろ』  WatchAppを開いてメッセージを送信した。送った後で気が付いた。随分高圧的なメッセージだな。……どうでもいいか。 「行くか……」  日が落ちかけて、各部活が終わる時刻を見計らって、ラクロス部が練習するフィールドへ足を運んだ。 「自転車は見つけたが、確認しておきたいことがある」 「何でしょうか?」  安堵と不安が入り交じる栗原の声に、少年は今一度彼女に問う。 「お前、ラクロス好きか?」 「勿論、好きですよ」  二つ返事で当然のように答えた。 「ではもう一つ。そのクロスであそこまでボールを、できるだけ高く飛ばせるか?」  小さな白球を手渡され、簡単です。と、彼女はクロスを手早く振り抜くと、軽々と指さした地点までボールを飛ばしてみせた。 「すっごいな。もう一回やってもらってもいいか?」  いいですよ。と、構えに入った瞬間、少年は脱兎の如く駆け出した。  スイングに合わせてボールは一気に加速して、時速100kmは軽く超えるスピードで空へ舞い上がった。少年もまた風の化身となってボールの落下地点まで全力で走る。  少年は一瞬空を見た。ボールは折り返しを過ぎて落下を始めている。  なおも少年は風となる。  芝を抉り土を跳ねて走る。  覚悟を決めて振り返りもせず、頭から芝に飛び込むと左手にボールが飛び込んできた。ボールをしっかり握りしめた左手を高々と掲げて白球を栗原に示すと、それを彼女が持っているクロス目掛けて投げ返した。ほぼ一直線に飛んで行ったボールはネットに突き刺さって収まった。  戻ってみると栗原は空いた口を押さえて目を丸くしている。ボールをほぼ見ずにダイビングキャッチし、ダイレクト返球を決めたとなれば、競技の垣根を超え、只者ではないことは栗原の目にも明らかだった。 「と、まぁこんな感じだ。さて、オレはガキの頃、野球をやっていたんだが……ある理由で辞めた。何だと思う?」 「それって……」  少年は震える後輩を見て目を逸らした。思い当たる節があるらしいことは分かった。 「お察ししてくれてなによりだ。向こうからしてみれば、まぁ面白くねえよな。いきなり入部してきた1年生がいきなりレギュラーで、3年生の最後の大会だってのに試合に全然出られなくて」  少女は俯いたまま、口を固く結んでいる。 「そんでどうにかしてやろうと画策するわけだ。あいつを辞めさせようとか、どうせ出られないなら全員出られなくしてやろう、とかな。最近の運動部の大会運営側は厳しいらしいな。高校球児が喧嘩でもしたら数年に渡って大会に出られないこともあるみたいだしな。…………だからオレたちの相談室に来たんだろ?」  少女は静かに頷いた。 「栗原、お前の依頼、表向きは『自転車を探してほしい』だが、その実、自分の置かれていてる状況を何とかしたい、なるべくならこの件は揉めずに闇に葬る形で片付けたい、といったところだ。だから本来、自転車盗難なら真っ先に警察に行くべきだがお前はそうしなかった。……部員の誰かだという犯人の目星が付いていたからだ」 「その通りです。多分ですけど、3年生の竹中先輩……だと思います」 「正直なところ、誰が盗んだかは分からん。3人がかりで自転車に何かしていたのは確認したがな。尤も、誰が盗んだかは問題にしてない。お前の依頼は自転車を探し出してほしい、だったからだ」 「確かにそうですね……」 「さて……本当の戦いはここからだ。全国大会、お前抜きで勝ち上がるのはこの部の総合力を見ても無理だということは決定的に明らかだ。そうだろ?」 「はっきり言いますね……。これは私の驕りでも何でもありませんが、全国大会どころか地区優勝も難しいと思いますよ。松田先輩、山口先輩の二人をもってしても、試合そのものをリードする私が居なければ、梅園一高には絶対勝てません」 「そうか。オレの見立ては正しかった訳か。じゃあこの書類にサインしてくれるか?」  そう言って少年は1枚の紙を栗原に差し出した。
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