自転車なくした栗原さん

7/11
前へ
/43ページ
次へ
 放課後 「…………てのはどうだ?」 「残念だけど、それは無理な相談ね」  万策尽きた少年は押し黙るしかなかった。 「君の方向性が間違っているのよ。栗原さんを辞めさせることで、直接的に部活メンバーとの関係性を破壊することは悪手ではないと思うわ。でも、その後の栗原さんのこと、考えてないでしょ?」 「しかしだな。栗原のあのプレーを見たあとなら、部活レベルで終わらせるのはおかしい、そう思ったはずだ。彼女の才能ならプロも目指せるしもっと周りのレベルが高いところで練習をしたほうがいいはずだ。違うか?」 「だから違うと言ってるのよ」  紅茶を一口含んでゆっくり喉奥へ流す。少し目を閉じたあと、真理愛は口を開いた。 「栗原さんがラクロスをうまくなりたい、プロになりたいって言ってた?」 「いや……」 「純粋にラクロスが好きなのよ。彼女は。勝ち負けはあると思うけれど、でも部活でやるラクロスでいいのよ。彼女にとっては。外野がそれをとやかく言うのは良いとは言えないわ」 「だからって」  少年は一度言葉を砕いて、再度放った。 「だからって、自転車盗まれて良いわけねえだろ。現に彼女は自転車代とバス代で経済的な損失を被っている。休日ちょっと外へ出るためにも使えるし体力トレーニングの1つとしても使えるツールだ。それを、ただ嫉妬だけで盗まれていい訳がねえ」 「君の気持ちは分かるわ。だったら、こういうのはどうかしら」  そう言って立ち上がった真理愛が本棚から取り出したのは校則一覧だ。多分、まともに読んでいる生徒は一人もいないであろう一品。教師でさえ中身を把握していないだろう。 「なにかいいことでも書いてあるのか?」 「部活動の規則にこう書いてあるわ。」  少年に本を手渡すと、生徒会長は粛々と読み上げた。 「部活動の発足。部活動顧問の教師1名以上、部員5名以上をもって学校長の承認を得ることで部活動の発足が認められる」 「いや、言いたいことは分かった」  少年はページを1枚めくって本を閉じた。そしてゆっくり首を横に振った。 「オレの案よりハードルが高いだろ。確かに栗原をあのコミュニティから抜けさせつつラクロス部を続けるって条件は揃うが」 「違うわよ。そうじゃないわ。教師1名以上、このことが何を意味すると思う?」 「例えば顧問を複数作って崩壊させる、とか?まず先にあの新監督を潰すわけか。……それはそれで時間がかかりそうだな」  椅子の背もたれに寄りかかって反り返る少年は匙を投げかけている。ため息を1つついたところで状況は何も変わらないが。 「それについては打てる手が1つあるわ。ラクロス部のグラウンド、あれ、サッカー部と共用なのよ」  生徒会長にしては随分と過激な事を言ってのけるものだ、と、少年は深く感心した。それと同時に、少年には次なる一手が思い浮かんだ。 「サッカー部顧問は川上だったな。面白くなりそうだな」  川上教諭は学園一の熱血教師として名高い体育教師で、元々Jリーグのサッカー選手だったが引退後に教師としてこの学校に赴任した経歴を持つ。プレーヤーとしてより指導者としての才能に優れており、弱小サッカー部だったこの桐波学園を中等部高等部共に県内トップレベルにまで登り詰めた実績は特筆すべきであろう。  真理愛に向き合った少年は穿った目で見つめ直す。彼女はどこまで想定している?それとも最初から? 「具体策を教えてくれるか」 「それについては適任者を呼んであるわ。入っていいわよ」  登場したのは、かのイケメン副会長その人だった。 「会長、先程から一体何の話をしているのですか?新しい部活を始めるおつもりですか?」 「お前一体いつから……」 「あなたはあなたで生徒会長に馴れ馴れしいのではありませんか? もっと敬意をもって接するべきだと思います」  刺すような目を少年に向けながらイケメンは上から打ち込んでくる。少年は慣れた態度で眉一つ動かさなかった。 「生憎とオレは相手によって態度を変えるのが得意じゃないんでな。そんなことより、だ。真理愛、続きを」  座って、と瀬尾戸を促すと会長が話を始める。 「単刀直入に言うわね。副会長、あなたの部活はラクロス部と共同のグラウンドを使っているわね?それについて不満はないかしら?」 「ないと言えば嘘になります。嘘になりますけど、双方が納得する解決策はないのが現状でしょう」 「そんなもんあったらとっくに解決しているからな」  あなたは黙っててください。と、釘を刺された少年はドアの方へふいっと顔を背けた。 「解決策はない、と言ったわね?それは双方の指導者がきちんと話し合って決めたのかしらね」 「いえ、そこまで詳しくは……」 「なら話は簡単よ。あなたが私に見せてくれた動画を、顧問の川上先生に見せて解決を促すのよ」 「どういうことですか?」 「ラクロスというスポーツ、男子と女子でルールが微妙に違うのよ。特に、ラフプレーについてはね。サッカー畑のあなたにとっては接触プレーは当たり前かもしれないけれど。……いいえ、ラクロスについても同様なの。でもそれは、男子部門だけ。女子ラクロスにおいて、接触プレーは明確なルール違反よ。にも関わらず、当校の女子ラクロス部はイエローカードを取られてもおかしくないラフプレーが目立つのよ。実際、イエローカードをもらう数も多いわ」 「審判が赤いカードを掲げない以上、それはなんの問題にもならないのではありませんか?」 「今はまだ、ね。もしこれが、どこかの大学のラグビー部のように監督指示で相手の有力選手を再起不能にするような事態になったら……と、考えると解決しておくべきだとは思わない?エスカレートする前に手を打っておくべきよ」 「だとしたら、有力な証言者を呼んでおいたぜ」  扉をノックする音に向かって、入っていいぞと呼びかけると、ゆっくりと扉が開いた。  扉の向こうには栗原が立っていた。 「あの、先輩」 「オレからの質問に答える前に、生徒会長がいくつか聞きたいことがあるそうだ」  少年は椅子を彼女の前に持っていくと、そのまま踵を返して何も言わずに元いた椅子に座った。  栗原もそれを見て差し出された椅子を少し引いて、ゆっくりと腰を下ろした。  相談室全体を見渡してから真理愛は髪をかきあげ、口を開いた。 「栗原さん。あなたに聞きたいことはラクロス部の現状についてよ。当校女子ラクロス部の、試合内容について気になる点はないかしら?」 「その、……。当たりが強いなって。最初はみんなガッツがあるプレーをしているだけだと思ってたんです。でも、実際は、監督の指示で……準レギュラークラスの選手は換えがきく道具としか思ってなくて…………試合でそういう活躍ができた選手はレギュラー入りさせるって噂で…………でも私…………どうすることも………………」  栗原はポツリポツリと言葉をこぼしていく。頬を伝う雫が手の甲にポタポタと落ちながら、言葉に詰まりながら、それでも彼女は訴える。ラクロスが楽しくない、ラクロスの面白さが遠いどこかに行ってしまった、と。 「なんて酷いことを……ラフプレーの強要などというスポーツマンシップに反する行為、断じて看過することはできませんよ!」  いきり立つ瀬尾戸を一瞥もせず廊下側の壁を見る少年は、お前の感想なんて今は何の役にも立たねえよ。と、ぼそっと呟いた。だが同時に確信した。栗原は始めから、部活が楽しいとか好きとか、そういうことは一言も言っていないのだ。彼女が部活動を好きでやっているという見立ては少年たちの間違った憶測でしかなかった。ただ彼女は、ラクロスが好き。しかして、そのラクロスを盾にして選手を妙なやり口で競わせるのが気に食わなかったのだ。では……。 「では、オレから1つ。そこまで言うなら、なんで退部届を破り捨てたんだ?」 「それは……」 「当ててやろう。まだ希望を持っていたからだ。ラクロス自体は楽しいんだ。歪な人間関係さえ無くなればまた楽しめる、だからそれを直してほしかった。違うか?」  それは、と栗原は押し黙ったまま俯く。そのまま何も言わずに涙が一粒落ちた。 「はっきり言ってやろう。今のあのラクロス部はお前が楽しめる状況じゃねえ。レギュラー争いを実力じゃなくてラフプレーや足の引っ張り合いで決めようとしてるんだからな。しかも、オレたち相談室だけで解決できる問題でもねえ。だが少なくとも、栗原、お前はオレたちに助けを求めた。だからお前だけはサルベージしたい。…………茗渓(めいけい)大学の体育学部の先生とは話をつけておいたぜ。練習への参加は大歓迎だそうだ」  誰もが話の内容に置いてけぼりを食らう中で、真理愛だけが状況を理解した。口の空き方が他の二人とはまるで違い、完全に呆れて頭を抱えている。はーっと溜め息を付いてから生徒会長は少年に迫った。 「君、また母様と連絡取ったのね?」 「ああ。昨日、いや、一昨日の時点でな。栗原が退部してくれると思って相談しておいたんだ。同じ茗渓大の、しかも体育学部の教員である岸野美雪先生からなら話を通しやすいと思ったし。案の定、軽く通ったぜ」  呆れた、とポツリと漏らすと真理愛は夕暮れの窓の外へ視線を投げた。夕日がビルの上を我が物顔で支配していた。  しばしの沈黙の後、少年は栗原に1枚の紙を渡した。 「正真正銘の本物だ。決心がついたなら、名前を書いてみようか」  栗原は渡された紙に直様名前を書いて、神妙な顔をしながら少年に手渡した。 「よく頑張った。後の問題はそこのイケメンがなんとかしてくれるからもう気にしなくていいぞ」 「はあ?あなたに指図する権限もそれに従う義務もないが」 「さっき、『スポーツマンシップに反する行為は断じて看過できない』って言ってたのはお前じゃないのかよ」 「二人ともそこまでにすることね」  会長の強気な瞳が二人を貫くと、二人は互いに目を背けて押し黙った。 「君は栗原さんを大学へ案内してあげなさい。瀬尾戸君は私と一緒に川上先生の所で話をつけに行きましょう」  少年が立ち上がった時にズレた椅子が床を少し引っ掻いた。相談室に響く不快な音を合図に全員が立ち上がり、会長の解散の合図で相談室を出た。 「先輩、本当にいいんですか?」  赤くなった目を擦って栗原は少年の背中に問いかけた。夕日に染まる廊下の中で、影になったその背中が反ることはなく。 「何がだ?」  首だけを少し動かして少年は怠そうにそう答えた。 「何がって……」 「礼を言うのはまだ早いし安心するのもまだ早いしオレたちに気兼ねする必要なんかないぞ。役目だからな」  納得していない様子の栗原だったが、それでも彼女は少年の後を歩いて大学へ向かった。
/43ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加