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1話
お母さんの教え、その一
基本動作を大切にする。
左脚を一歩前に、次に腰をひねり、その回転に引っ張られるように右肩をしならせる。腕は最後まで伸ばし、リリースを大事に。これがラクロスのパスの基本。虫取り網に似ている〈クロス〉というスティックを使い、的に向かってボールを投げる。左右、百回ずつ。
これが、結構疲れる。
「ふぅっ、休憩っ」
寝転がって見上げる青い空……は実は家のガレージの天井。壁も床も水色。遊び心が大事だとか言って、ガレージを建設したときにお母さんが塗装した。私が選んだ色だから、家の中ではここが一番気に入っている。
コンクリートの床に背中をぴったりつけて火照った身体を冷ます。首だけを動かし壁打ち用のゴールネットを見る。縦横二メートル四方の正方形を形どった鉄パイプの四隅に、ポケットが付いている。あの穴にボールを入れたらマル。入れられなかったらバツ。お母さんがいない日は、ずっとここでそういう自主練をしている。
反対側の壁には〈クロス〉がずらりと掛けてある。その下に、小さいハードルとラダーが無造作に置かれている。その奥にはエアロバイク。その横には大きなバーベル。
ここは我が家のトレーニングルーム。普通の家の車庫にはこんないかつい器具は置いていないという事実は、割と最近になって知った。
同時に、私の家庭事情がちょっと変わっているということも。
ガレージがバックライトに照らされた。続いて車が後退してくるときの機械音。白い大きな乗用車が、エンジンをつけたまま停車した。
「真凛、でかけるから、早く後片づけしなさい」
車の窓から私を呼んで母さんみたいなことを言うこの人は、一輝。私のお父さん(仮)。耳の上を刈り上げて若作りをしている、大柄で筋肉質の男。
なんで(仮)かって言うと、お母さんと一輝は結婚していないから。一輝は普段はこの家じゃなく、大通りを挟んだ向こうの番地の独身寮に住んでいる。お母さんが長く家を空けるときだけ、この家で寝泊まりする。
「え~? どこ行くの? なんで私も?」
文句を言いながら起き上がる。
すぐにシャワーを浴びたかったけど、まぁいいや。冬だし。スポーツをする割には汗をかかない質だし。
私は一輝の言いつけに従ってガレージを片付け始めた。
六年生になってから十センチも背が伸びた。去年までは背伸びをしないと取り出せなかったボール籠に、今では悠々手が届く。急な成長に身体がびっくりしているのか、先月なんか、膝が痛くて動けないほどだった。
「なんで、ってお前、迎えに行きたいだろう」
「えっ? 今日、帰ってくるの⁉」
私は驚いて、ボール籠を取り落としそうになった。
「言ってなかったか? ごめん、ごめん」
一輝は窓から身を乗り出し、人差し指で車の鍵をくるくる回した。鼻歌なんか歌っている。
だらしない顔しちゃって。まったく、ひどいよ。私だってずっと楽しみにしているのに。
「早く行こう!」
私は車の後部座席に飛び乗って、窓に頬をくっつけた。
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