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練習が終わる頃には、あたりはすっかり陽が落ちていた。それなのに、夏だからか、俺が恋をしているからか、どこからかほのかな灯りを感じる。
空気が軽くて、人も溢れていて、星が見えなくても、帰り道がわかる。夏祭りの帰り道、花火の閃光を追いかけるみたいに、終わりを知らずにはしゃいでいる。どうせ迷わないと軽んじていると、陽動に流され、知らない場所にいて、星もないから、途端に何もわからなくなる。幼い頃、一度だけそうして、夏祭りの帰りに迷子になったことがある。
両親と来ていた俺はひとりぼっちだと気づくと、声を上げて道端で全力で泣いた。
近くを通った青年が交番まで連れて行ってくれた。優しい人だったのか、大声で泣く俺を無理に泣き止ませようともせず、うるさがりもせず、ただしっかりと俺の手を繋いでいてくれた。
幼い俺はただそのことに安心して、親が迎えに来るまで全力で泣くことができた。
連絡を受けて、俺を迎えに来た両親は顔面蒼白だった。父は俺をバカ、と叱りつけたが、うっすらと瞳が濡れていた。母は俺を強く抱きしめ、静かに涙を流した。
両親が泣いているところを初めて見た俺は、思わず涙が引っ込んだ。もうその頃には、俺の声はひどくしゃがれていたから、本当は安心して泣き止んだのかもしれない。
お世話になりました、と頭を下げた両親に倣って、俺も掠れた声でお礼を言った。警官と青年はそれを褒めてくれた。
俺は右手を父と、左手を母と、家までずっと繋いでもらって帰った。
両親は仕事人間でいつも忙しくしていたから、二人を独占できるのが嬉しくて、警官と青年が褒めてくれたのも嬉しくて、また迷子になりたいとまで思っていた。後で事情を聞いた兄までもが、俺を力一杯抱きしめてくれた。
両親が、兄が、誰か大人が、必ず迎えに来てくれると疑いもしない子供だった俺は、感情を素直にぶつけることのできる、強い子供でいられた。
それ以来、携帯電話を持たされたから、もう迷子になることは無かったけれど。
浮かれた夏を感じる度、思い出してしまう。
きっと今年の夏も、迷子になって大声で泣く子供と、血眼になって探す親の姿があるだろう。
でも、少し大人になれば、泣けない子供も、探さない親も、迎えに行けない親も、迷子のままの子供もいることを知る。
ハルはどんな子供だっただろうか。
部員と一緒に談笑しながら水分補給をしている横顔を遠目で見て思う。
制服に着替え終えたハルは、いつものペットボトル飲料を飲んでいる。
あまりにそのスポーツドリンクばかり飲むので、好きなのかと聞けば、普通だと言われた。無ければ別のを飲む、と。でも、あるならこれにするとも言っていた。
俺は首を捻って、それは好きではないのか、ともう一度聞けば、似ているけれどちょっと違う、と返ってきた。
ハルは俺と違って、難しい。昨日までは輪の中のハルに声をかけて一緒に帰っていたけれど、俺が声をかけたら関係を勘づかれるかもしれない。
知られているとわかった以上人前での接触は避けた方が安全だろう。俺は嘘をつけないからバレてしまう。
でも、ハルと帰りたい。だからもう十分以上、ハルを尻目に延々と悩んでいる。
「おい、そんな見てるとバレるぞ」
石本が隣に寄ってきて、耳打ちをした。
ハッとして、俺はハルから目を逸らす。
「ハルと帰らないのか」
石本は軽く気遣う調子で聞いてきた。
「一緒に帰ったら気付かれる気がして」
ハルの笑い声が聞こえてくる。笑った顔を見たいのを堪えて俺は答えた。
石本は大きくため息をついた。わざとらしいほどに。
「はあ。いつも一緒に帰ってるお前が声をかけ無ければ、それも変に思われるだろう。駅と反対方向のハルの家に散々送って行っているんだから、今まで通りにしておけよ。それに、ハルはきっと待ってるぞ」
「そうだろうか」
弱気になる。ハルの考えを読めるほど俺はまだハルを知らない。強くも出れない。下手を打つと、ハルを傷つけることになる。
そしたら、別れると言われてしまうかもしれない。
「そうだ。お前が誘わなければ、ハルは気にするだろう」
石本は出来の悪い生徒を諌める教師のようだ。
「それは……そうかもしれないな」
たしかに。俺は石本を横目で見ると、小さくうなづいた。
いつもと違うことが起きれば、気になるだろう。ハルは繊細だから、何かを堪えるように、睫毛を伏せて笑っているのだ。
「よし、誘う。石本、ありがとう」
「……明日、雪でも降るのか。もしくは槍。傘持ってこよう」
石本は苦々しい顔で、よくわからないことを呟いた。
「なんの話だ」
俺が聞けば、石本はかぶりを振った。
「ほら、行けよ」
石本の言葉に押されて、俺はハルのもとへ向かう。
関係を知られるのも嫌がるだろうが、誘わず、明日なにも無かったように睫毛を伏せて笑うハルは堪えるだろう。
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