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輪の中にいたハルに「帰ろう」と声をかけると、昨日と同じように、ハルは自転車を押してついてきた。周りにいた部員が「お迎え来たぞー」とか雑に囃し立ててきて、気が気じゃない。
だけどハルは声色ひとつ変えずに「はは、またね」といつも通り笑った。別に、部員の軽口も、ハルも、なにも変わらなかった。
誰一人、俺の心情には気付いていなくて、石本の言う通りだなと思った。
肉まんを半分こしたあの日、俺とハルの間には自転車分の距離があった。でも今、ハルは俺がいない方の隣で自転車を引いてくれている。
カタカタカタカタ。
親み始めたハルの自転車の音は、浮かれた温風で膨張して締まり無い。緩んだ口から期待が飛び出す。
「あのさ、ハル。帰り、俺を待ってたりするか」
思い上がりだと思われるだろうか。
「え。うん。一緒に帰るんじゃないの」
ハルは、なにも気にせず前を見て言った。
「もちろん。一緒に帰ろうな」
嬉しい。俺と帰ることを、誘われるのを当たり前だと思ってくれて嬉しい。俺といることを受け入れてくれているのも嬉しい。頬が緩む。
ハルに踏み込みたい。
「あのさ、ハルって音楽好きって言ってたよな。よければハルの好きな曲とか教えてくれないか」
「え。カドって音楽聴いたりするっけ」
ハルが少し驚いた様子で俺を見上げる。
「あまり聞かないな」
目が合う。俺は耐えられなくなって、少し視線を外した。
「じゃあなんで」
心底疑問、といった顔で、ハルは俺の目をまっすぐ見つめる。
なんで。そんなの決まっている。ひとつしかない。
夜空を見上げて、俺は言う。
「ハルのことを知りたいからに決まっているだろう。ハルの好きを理解したい。音楽の好みだけでなく、嫌いなものも、何もかも。まだあまり知らないからさ、教えて欲しい」
勢い余って、ハルの瞳とぶつかった。相変わらず綺麗で、吸い込まれてしまいたいくらいだ。
いくらかの沈黙の後、今度はハルが瞳を逸らした。耳まで段々と、色づいていく。
「……わかった」
カタタタタタタ。
あたりは静まりかえって、自転車の音だけがやけに響く。吹いていた温風は、いつの間にか夜風らしく涼しくなっていた。タイヤまでもが緊張している。
「じゃあ明日、お気に入りのアルバム何枚か持っていく。部活の時に渡す」
平坦な声を出したハルは、自分の足元を見つめて、耳を真っ赤に染めたままでいる。
俺は何かおかしなことを言っただろうか。
「ありがとう。楽しみにしている。俺は、配信サイトで時々しか聞かないからな。わざわざアルバム買うとは本当に好きなんだな」
俺はハルのつむじを見て柔らかく微笑んだ。
「うん」
ハルが小さな声で頷くと、それ以上、帰り道に会話は無かった。ハルが顔を上げることも無かった。
俺は、ふわふわとなびく、ハルの長めの髪の毛を飽きずに眺めた。
やはり夏の夜は何処からか、あかりが漏れていた。
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