第一話:吊り橋とカッパの親子と地下室のサクラ(一)

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第一話:吊り橋とカッパの親子と地下室のサクラ(一)

地上百七十六メートルの山深い吊橋の上で、若い男女が向かい合って立っていた。 他に人は無く、晩秋の赤茶けた山のわずかな葉擦れのざわめきが、優しく二人を見守っていた。 二人は長らく無言で見つめ合っていたが、ふいの強風に落葉が舞い上がり、二人を包み込み、乱れた長い黒髪を女が片手で押さえると、それを合図にするかのように、女よりも少し年下と見える男が緊張した面持ちで大きく息を吸い込んで、 「ユサギ先生!! あなたは僕が一生守ります!! 付き合って下さい!!」 山中にその声が響き渡り、こだまを繰り返し、やがて辺りが元の静けさを取り戻した頃、 「まったく、仕方の無いやつだ……」 女はため息交じりに小さく首を振りながら微笑むと、男の方へとゆっくりと歩み寄り、そして、 「……あの、何してんですか、人の足元で」 どこからか取り出したロープ状の何らかで男の両足首をまとめるように縛り始めた。 「いや、何かこう、近年まれに見る非常な不快感を覚えたのでな、実験を変更しようかなぁと思って。 輪ゴムを大量に束ねた手作りのゴムでバンジージャンプしても大丈夫なのかを確かめることにするよ。 ほら、そっちそっち、もうちょっと端に寄って」 「は?  いや、ちょっと?  危ないですって! だいたいそんなものどこに隠し持ってたんですか……っと!? やめて下さいよ! マジで危ないですって!!」 肩をこづかれよろめくが、両足を縛られているため思うように踏ん張りが効かずよろめいた男は、吊り橋の手すりの縄へと倒れ込みしがみつく。 「問題無い。 製造方法次第でだいぶ差はあるようだが、輪ゴム一本でも意外と五キロぐらいは支えられるらしい。 お前は身長もあるが細身だしせいぜい七十キロといったところだろう?  ゴム自体の質量も考慮に入れて二十本を一ユニットとして作成しておいたから、お前がここへ来るまでの道中で突然十キロ単位で太っていく奇病にでも罹患していなければ切れたりはしないはずだ」 言いながらも女は、男がよろめいた勢いを利用して男の足を抱えて手すりの上へと持ち上げる。 「いやいや、そんな『らしい』とか『はずだ』とかばっかりのいまいち決定打に欠ける曖昧な理屈じゃ納得しませんよ!?  っていうかこんなものをこの場に持ってきてたってことは、僕の実験とか関係無く最初からこれをやるつもりでいましたよねぇ!?  ねぇちょっと!? マジでやめて!?  これ本気の事件になるやつですよ!?  そんなの先生だって困るんじゃ……って……あぁああぁーっ!?」 必死の抵抗も虚しく、手すりにしがみつく指を女にはがされ、男は遥か下方にかすんで見える細い渓流に向かって落下して行った。 が、数秒も経たぬうちにゴムロープが全て出尽くし、水面にはまだほど遠い空中で男は静止し、上方へと跳ね返り、また落下するのを繰り返し始めた。 「あぁ、結び目によるゴム長の減少を考慮していなかったな。 まぁいいか、とりあえずは本当に切れなかったみたいだし、あとは面倒だが回収して感想を聞けば……と……あれ……?  そう言えば……バンジージャンプって終わった後どうやって回収するんだろうな。 私の細腕ではとてもじゃないがトータル百キロを超す物体を引き上げることなどできないし、ここでゴムを切ってしまったら結局ただの自由落下で、それなら最初から普通にゴム無しで突き落せば良かっただけの話になってしまうよなぁ……。 となると……おぉい!   トール君!!  なんとか自力で上まで上がって来てくれるか!?  私はちょっと車でコーヒーでも飲んで待ってるから!!  はぁ……やれやれ、ずいぶんと無駄な時間を過ごしてしまったな、なんか悪かったな、グゥラ」 女の一方的な提案が、息も絶え絶えに空中を上下する男の耳に届いたのかどうかも確認せぬまま、女は足元に置かれたごちゃごちゃと金属管や配線や蓋や液晶モニターが取り付けられた立方体の機械装置の取っ手を握ると、よいしょ、と持ち上げ歩み去って行った。
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